弁護士の値札
第401号 弁護士の値札
資本主義というのは、全てのものに「値札」が付いている社会だそうです。何でもかんでもお金で評価できてしまう。このようなお金万能の考えに対して、お金では評価できないものが存在するという考えも有力です。
例えば「人間」は、お金では評価できないというわけです。それについては、こんな話があります。立派な衣装を身につけた王様が、一人の賢者に「今の私の価値はどのくらいだと思うか?」と質問しました。これに対して賢者はある金額を言うのですが、それを聞いた王様は「この服だけでも、お前が答えた金額くらいの価値があるぞ!」怒ります。それに対して賢者は、「ですから、その服の値段を申し上げました」と言い返したという話です。人間の価値はお金では測れないということでしょう。確かにもっともな意見ですが、それでは話が面白くなりません。
というわけで、「人間」にはどのような「値札」が付けられているのかを考えてみます。まず、就職のときには、その人の値札は、「年収」という形で表示されることになりそうです。定年後の再就職先を探すのに、今まで1000万円を貰っていた人が、その「値札」のままではどの会社も買ってくれなかったなんて話をよく聞きます。終身雇用の中、今まで勤務していた会社では、世間相場よりも高い金額を、「値札」として付けて貰えていたのかもしれません。
そういえば、就活だけでなく婚活の場合でも、人間に値札が付くという話を聞きました。結婚相談所では年収、学歴、職業、容姿といった様々な要素が数値化され、男女それぞれに「値札」を付けるそうです。そして、その数値に基づいて「釣り合いの取れる相手」が紹介されるのです。もっとも相談所の利用者たちは、誰もが自分の価値を実際よりも高く見積もるので、いわゆる「高望み」をしてしまうそうです。わ、私も他人のことは言えませんけど。ということで、法律の話です。
実は法律の世界では、もっともシビアに人間に「値札」を付けているのです。例えば交通事故で亡くなった人に対する賠償金が幾らになるのかといった話です。これなんてもう、国家権力の一翼を担う裁判所が、真正面から人間の金銭価値を計算することになります。「人間の命に差をつけるのはけしからん」という考え方もありそうですが、そうはならないんですね。露骨に言うと、ここでも基本的には被害者の収入をもとに「命の値段」が計算されることになります。裁判にまで資本主義の論理が浸透しているのかという気もします。しかし例えば、現在稼いでいる一家の大黒柱が亡くなった場合と、高齢で収入のない方が亡くなった場合、前者の賠償金額を大きくした方が良いと考える国民の方が多数派のように思えます。さらには「人間収益機械説」なんて学説もありました。人が亡くなったことを、収益を生む機械が壊れたのと同じように考えて、損失を計算しようということでしょう。ここまで行くと、かえって清々しい思いさえしてしまうのです。(おいおい。。。)
ただ、お金を稼いでいない人間の「値段」は低いとなると、例えば専業主婦の場合はどう考えるのかみたいなことも議論されました。さらに言えば、男性に比べて女性の賃金は統計的に低いことは間違いありません。そうなると、「男性の値札」の方が、「女性の値札」よりも高くなってしまう。これは男女平等から見ると問題です。しかし、夫が亡くなったときの賠償金額の受け手は妻ですから、あまり問題視されてこなかったのでしょう。
というわけで最後に、弁護士の「値札」はどのように付ければよいのかも考えちゃいます。訴訟でどれだけ多額の賠償金を勝ち取ったかみたいな基準はありそうです。でも結局のところ、資本主義社会の中の弁護士は、自分たちに「値札」を付けたうえで、お客様の判断を待つしかないようです。お客様から、「大山弁護士のこの値札では安すぎる!」なんて言って貰える弁護士になれたら良いなと思うのです。
弁護士より一言
妻は自分の誕生日には母親(94歳)に、メッセージを書いてもらいます。「今日は何の日でしょう?」と聞いても忘れていたけれど「今日は私の誕生日だから何か書いてね!」と頼むと、「からだに気をつけていつまでも長生きしてね」と書いてくれたそうです。書く方と書かれる方が逆な気もしますが、親は有難いものです。プライスレスなプレゼントをもらえたと妻も喜んでいました。 (2025年11月17日 文責:大山 滋郎)





