口腹弁護士の意気
第218号 口腹弁護士の意気
私は漢詩が好きなんですね。漢詩には、思わず口ずさみたくなる、格好良いフレーズが沢山あります。
「人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん」
なんて、有名です。今から1400年も前の魏徴(ぎちょう)の詩の一部です。魏徴は、皇帝に対して、ズバズバと諫言をしたことで有名な人です。中国で名君といわれるような皇帝は、魏徴のように諫言してくれる臣下を持つように努力したんです。若手弁護士に意見されると、直ぐにへこんでしまう私とは大違いなんですね。ううう。。。 魏徴の言葉は、「お金でも名誉でもなく、意気に感じて行動するんだ!」と、とてもカッコいいです。私も一度は言ってみたい言葉です。
魏徴も凄い人ですが、ジンギスカンに仕えた耶律楚材(やりつそざい)も凄い人です。ジンギスカン(騎馬軍団で世界を席巻した、あの「成吉思汗」です。)に滅ぼされた国の王族の出ですが、非常に優秀な人で、ジンギスカンの世界制覇の補佐をしながら、漢民族のためにも尽くしました。ジンギスカンが死ぬとき子供たちに、「この人は天が我が国に使わしてくれた人だから、大切にするように。」と伝えたなんて話も残っている偉人です。ところが、このメチャクチャ凄い耶律楚材の詩のフレーズは、魏徴の正反対なんです。
「人生ただ口腹のみ 何ぞ妨げん流砂を過ぐるを」
人生なんて、美味しいものを食べるためのものだ、そのためなら砂漠だって超えてみせるという、まさにグルメの鑑みたいな文句なんです。「人生なんて、お金儲けして、楽しく暮らしたもの勝ちだ!」といった感じの詩です。魏徴と耶律楚材と、どちらも正しいのだと思います。「世の中 金だ!」というのが真実なら、「世の中 金じゃない!」というのも同じく真実です。弁護士の場合も、「意気」と「口腹」の関係は、問題となります。「意気に感」じて行動する弁護士は以前から相当数いました。「人権擁護」や「憲法9条を守る」ために、損得抜き、手弁当で活動する人達です。オウム真理教の麻原彰晃の弁護とか、戦争法案反対みたいな活動をしている弁護士達です。光市の母子殺害事件の弁護をした弁護士なんか、特に有名です。「ドラえもんが何とかしてくれると思っていた。」などという被告人の主張に沿った弁護を大真面目にして、世間からかなり攻撃されていました。私は、こういった弁護士の活動が正しいとは思えないんですね。しかし、こういう弁護士に対して「売名行為のためにやっているんだ!」なんて言う人は、明らかに間違っていると思うのです。あんな活動しても、特に良いことなど何もないのです。まさに、「人生意気に感ず」でやっていることなんですね。その意味では、立派です!
その一方、「人権弁護士」達は、必ずしも同業者の評判が良くないのも事実なんです。「人権」や「平和」活動はお金にならない中、「口腹」も満足させるとなりますと、どこからか資金を調達しないといけませんね。そういうわけで、「意気弁護士」の事務所ほど、「ブラック事務所」だなんて、言われます。事務員さんや勤務弁護士の労働条件が悪いのは当然という「人権弁護士事務所」の話はよく聞きます。さらには、普通の弁護士が避けるような筋の悪い事件を受けたり、お金のある人からは高額の報酬をとったりする人もいます。「意気」に感じながら、「口腹」も満たそうとすれば、こうなるのかもしれません。「口腹弁護士」の私(おいおい。。。)が言うのはなんですが、本当に残念なことです。せめて私は、依頼者のために真剣に活動することで「意気」を示したいと思ったのでした。
弁護士より一言
ニュースレターも10年目に入ります。その間、残念ながら多くの知人が亡くなりました。先輩に関しては、ある意味仕方ないのですが、同年代や、若い人が亡くなる話を聞くと、とてもショックです。「人生」についての漢詩といえば、井伏鱒二訳の、このフレーズが一番有名ですね。「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」 何時「さよなら」しても悔いを残さぬよう、ニュースレターをしっかりと書いていきます。本年度もよろしくお願い致します。
(2018年4月1日発行 大山滋郎)