お米弁護士のご馳走
第253号 お米弁護士のご馳走
「芸人というのは、大変な仕事だ。。。」と、子供の頃から思っていました。次々に新しい人が出てきます。一部の人を除いて、「売れたな!」と思っても、直ぐに消えてしまうんですね。以前読んだ歴史の本に、豊臣秀吉に仕えた、お伽衆(偉い人専用のお笑い芸人ですね)の話がありました。歴史に名を遺すお伽衆といえば、何といっても、曽呂利新左エ門です。落語家の始祖と言われる凄い人なんです。秀吉が、「自分は猿に顔が似ている。」と嘆いてみせると、「猿が上様を慕って似せたのです。」と言って笑わせたなんて逸話が残っています。ある日、曽呂利新左エ門が、他のお伽衆から、「何故、お前だけは何時までも上様に贔屓されているのか?」と質問されたそうです。これに対する新左衛門の回答がなかなか深いのです。「皆は、上様にご馳走を食べさせようとする。自分は米を出しているから飽きられない。」と答えたそうです。これって確かにありそうです。ご馳走の出て来る高級旅館に長期間滞在する人はそれほどいないでしょうが、粗末な食事の湯治場なら、長くいることもできます。テレビでも、長寿番組といわれるものは、例えばサザエさんなんかですね、ご馳走というよりお米みたいなものだと感じます。美味しいものは飽きるんですね。
現代の芸人ですと、何年か前に引退した島田紳助なんて、本当に凄い人だなと感心していました。話す言葉の一つ一つが、とても面白いんです。芸人になりたいけれど、両親に反対されているという人には、「止めとけ。君には才能ない。たった2人の人間を説得できへんようじゃ、テレビの前の一億人を説得させられへんよ。」なんて、親身なアドバイスをします。これ、うちの事務所に入りたいという若手弁護士に対して、私も言った事が有ります。「私に対して自分を売り込めないなら、沢山のお客様に対して、自分を売り込めるわけないでしょう。」 恋愛がうまくできるのは、奇麗な女性だけれども、結婚してうまくやっていける女性は違うのだという話で、「パセリが花を咲かそうとするな。誰よりもキレイな緑になれ!」なんて、アドバイスしてたのを覚えています。そんな紳助が、芸人について語っていたんですね。「売れない芸人は、一発芸はあっても、フリートークが詰まらない。」なんだそうです。これってまさに、曽呂利新左エ門の言う、「ご馳走は出せても、毎日のお米が美味しくない。」というのと一緒だなと思ったのでした。時代が変わっても、一流の芸人の考えは、同じようなものなんですね。弁護士の場合、「芸」と言えばやはり法律絡みです。
少し前までは、日本のいわゆる「町弁」の場合、特に何の法律が得意ということもなく、法律全般を扱っているというスタイルが普通でした。しかし、日本でも最近は、自分の「芸」は、こういう分野の法律ですと、積極的に言うようになってきました。その分野の法律では、絶対的な知識を持ち、交渉でも裁判でも、しっかりと対応するというわけです。その分野で何かあったときには、「ベストの解決」という「ご馳走」を出すわけです。それ自体は、素晴らしいことに思えます。
しかし弁護士として、多くの依頼者とかかわってきた中で判断すると、難しい法律問題の解決というご馳走を出せる弁護士が支持されているわけではないことに気が付きました。多くのお客様の信頼を勝ち得ている同業者を見ていても、必ずしも法的に優れているわけでもないんですね。訴訟に勝つというご馳走を出しても、依頼者の信頼を得られない弁護士は沢山います。訴訟に負けても、普段の対応がしっかりしていれば、信頼は揺るがないようです。花を咲かすより、誰よりキレイな緑のパセリを目指して参ります!
弁護士より一言
子供たちも大きくなると(長女は大学生、次女は高校生です)五人の家族旅行も行く先がなかなか難しいです。海外の方が行きたがるかなと思い、「来年はカンボジアに行こう!」って提案したんです。「アンコールワットは、アンコールだから、みんな二回は行きたがるよ!」と言ったら、「パパのユーモアって、ホントじろう流だね!」と、冷たい目で見られました。一発芸ではなく、毎年旅行に行っているのにあんまりだ!と憤慨したのです。
(2019年9月17日 大山滋郎)