放蕩息子の兄

第259号 放蕩息子の兄

 キリスト教系の学校に通っている長女から、「聖書の放蕩息子のお兄さんって、可哀そうだと思わない?」と聞かれました。「放蕩息子」は、キリストの譬え話の中で、一番有名なものですね。お金持ちの家に、息子が二人います。兄は親の言うことをよく聞いて、親と一緒に働いていますが、弟の方は遊んでばかりいる。弟はしまいに、自分で勝手に暮らしたいから、今のうちに財産を分けてくれ、なんて言い出します。分けてもらった財産を持って、家を出て遊んで暮らしてたんですね。しばらくして、財産を使い切り、大変厳しい生活になっちゃいます。まあ、当然のことでしょう。そこで、親の家に帰って来て、謝罪するんです。有名なセリフです。「私は、神に対してもお父様に対しても罪を犯しました。もう、あなたの息子と呼ばれる価値はありません。」(うちの長女の実体験からの考察によると、弟や妹は、親に気に入られそうな、こういう要領の良い言葉がとっても上手いそうです。ほ、本当ですか。)

 

 この言葉を受けた父親が、「死んだ息子が帰ってきた!」と喜んで、ご馳走を作って歓迎したというのが、よく知られている放蕩息子の話です。別に父親も、放蕩息子の改心を心から信じたわけではないでしょう。でも、こうやって謝罪してきたのだから、もう一度チャンスを与えようと考えたのかなと思います。ところが聖書の放蕩息子には、この続きの話があるのです。放蕩息子のお兄さんが、弟に腹を立て、父親に食ってかかる話です。「自分は今までお父さんの言いつけを守り、一所懸命働いてきました。それなのにお父さんは、私の為には、何のご馳走もしてくれなかった。」「ところが、貴方のあの息子が、娼婦どもと一緒に貴方の身上を食いつぶして帰って来ると、ご馳走を作って歓迎するのですか!」みたいな感じで、激怒します。自分の弟のことを、「貴方のあの息子」と呼ぶなんて、兄さんの凄い怒りが伝わって来るようです。宗教の価値観からすると、放蕩息子を許すのが正しいのでしょうが、世間一般の人達はお兄さんと同じ様に憤慨するのではと思います。

 

 例えば相続のときなんか、こういう紛争はよく起こります。散々遊びまわって、親不孝しておきながら、親が亡くなると相続分を要求する子供は沢山います。親の面倒を見ていた他の兄弟たちは、「なんであいつが相続できるんだ!」と腹を立てるわけです。法に定められたルールを適用する以上、「放蕩息子」でも、同じ様に相続できてしまうんですね。弁護士としても「兄」に同情してしまいます。

 

 刑事裁判の場合、日本の刑罰は、欧米に比べてかなり軽いと言われていました。これは恐らく、日本の裁判がエリートである裁判官のみによってなされていたことと関係がありそうです。裁判官は、放蕩息子のお父さんと同じで、高い位置から判断していたのだと思います。刑事事件の裁判官の言葉で、「裁判官は被告人に騙されるのが仕事だ」というのを聞いたことが有ります。ある意味立派な見識ですが、世間一般の「兄」達の考えとはズレていそうです。裁判を傍聴した知人から言われました。「被告人は『反省した』などと言っていたが、自分には反省の気持ちなど伝わらなかった。」「それなのに裁判官は『一応の反省が認められる』と言って、刑を軽くしていた。」「『一応の反省』って何なんだ!」と、なぜか私まで怒られたのです。ううう。。。 「父親」のような裁判官が行う裁判に、厳しい考えを持った「兄」を入れたのが、10年前に始まった裁判員裁判だと思うのです。優しい「父」と違って、「兄」は遠慮なく「放蕩息子」を断罪します。裁判員制度が始まってから、刑罰が相当重くなったのも、やむを得ないことかもしれません。

 

弁護士より一言

 聖書の中では、「ゲッセマネの祈り」の話も好きです。「寝ないで待っていなさい。」とキリストに言われたにもかかわらず、弟子たちは眠ってしまいます。そんな弟子たちに対してキリストは怒らずに「心は強いが身体が弱いのである。」と、同情したという話です。劇場で、「よくそんなに眠れるね。。。」と呆れる妻に、是非ともこの話をしてあげようと思ったのでした。

(2019年12月16日 大山 滋郎)

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