弁護士は何で生きるか(2)
第290号 弁護士は何で生きるか(2)
前回の続きです。神の命令に逆らって、幼児のいる母親を天に召すことしなかった天使の話です。神様から出された3つの質問の1つ目に対して、「人の中にあるのは愛だ!」と悟ったのが前回です。
今回は2番目の質問、「人に許されていないことは何か?」から検討します。ただ、以前このトルストイの民話を読んだときには、「結局天使に許されていなかったことは、神様の命令に逆らうことじゃん?」なんて思ったのも事実です。
この天使は、心に愛をもって、幼子がいる母親の命を奪うのを止めました。でもそれは、神の命令に背いていたから、罰せられたわけです。そうしますと、ひねくれているようでも、「人でも天使でも許されていないのは、命令に背くこと」だと考えてしまうのです。この点に関連しまして、「弁護士に許されていないことは何か?」という問題があります。弁護士も一般人に許されていないことは、同じように許されません。
さらに加えて、弁護士として、絶対に許されないことは何かという問題です。回答、分かりますでしょうか? 弁護士として許されない行為をした場合は、弁護士会が懲戒処分とします。軽い処分は単なる注意・警告にとどまりますが、一番重い処分になると、弁護士資格を失うことになります。
少し前に、着手金を受け取っただけで、仕事をしない弁護士が懲戒処分になったというニュースがありました。この人、それまでに何回も懲戒を受けています。今回も、お客様から問題提起されているのに、着手金の返金さえしないという悪質ぶりです。「これだけ酷いことをしてるなら、弁護士資格取り上げるべきだ」と一般の人なら思うはずです。
ところが、現実に弁護士会が下した処分は、業務停止6か月でした。その一方、弁護士会に会費を納めないという「極めて悪質な非行行為」の場合は、一発で弁護士資格を失います。「弁護士に許されていないこと」は、「庇ってくれる弁護士会に会費を払わないこと」なんです。わ、私も気を付けます。トルストイの民話に戻りますと、靴屋で職人として働いている天使のもとに、傲慢な金持ちが来て、長く使える靴を事細かに依頼します。
しかし天使には、その男が今晩にも死ぬことが分かります。ところがその男は、自分が何時までも元気だと思って注文している。そこで天使は、2つめの質問の答えが分かります。「人には、自分には何が必要なのか、知ることが許されていない。」 この回答については、皮肉でなく本当にそうだと思ったのでした。聖書の中で、イエスが神への正しい祈り方を教えていたはずです。何かを求めて祈ってはいけない。
ただ、「御心のままに」とだけ祈りなさいという教えです。人間には、何が自分にとって必要か分からないのだから、というわけです。弁護士の仕事でも、結果が思わしくないことなどよくあります。
精一杯努力した上で、「結果」は「一番良いもの」なんだと信じて、前向きに生きていくことは大切だと思います。(そうは言っても、本当は落ち込んじゃいますけど。) 天使は最後に、「人は何で生きるか」という質問に向かいます。そして、自分が天に連れて行った女性の子供が、周りの人たちの愛情で生きていたことを知ったとき、答えが分かります。「人は、愛があるから生きる」ということだそうです。
トルストイ先生には悪いのですが、今一つ釈然としない。「愛」と同じくらい、国の救貧政策が重要ではなんて思ってしまうのです。
その一方、心に愛があることは大切だなと感じているのも確かです。私自身、同じことを伝えるにも、相手を思いやって言葉を選ぶ方が、相手に伝わると感じています。
内容的には同じことでも、「相手を論破してやろう」と思って言う場合では、言われた相手の受け止め方も全く違いますね。心に愛がある弁護士になりたいものです。
弁護士より一言
ニュースレターも今回から13年目に入ります。この「一言」では、子供の可笑しな話を取り上げてきましたが、流石に成長した子供をネタにするのは、はばかられるのです。「そもそも大きくなった子供が変なこと言ってるなんて、おバカが露見して恥ずかしくて書けないよ」と愚痴ったら、「そんなこと気にしてどうするの。みんな失敗して成長するんだよ!」と娘に言われました。お、お前が言うのか。でも、これからも書くことを許されたようで嬉しかったのです。
(2021年4月1日 大山 滋郎)