弁護士のマイ国家(2)
第373号 弁護士のマイ国家(2)
「みすぼらしくも豪華でもなく、平凡な家だった」という文章から始まるのが、星新一の傑作「マイ国家」です。銀行員の青年が外廻りで立ち寄った家で、声をかけても返事がない。事故でもあるといけないと家の中に入ったところ、その家の主人に「不法入国」で捕まるという話です。
主人によると、その家は独立国家(マイ国家)だというのです。「一定の領土と、国民、それに政府つまり政治機構、この三つがそろっているもの」が国家だと、主人は青年に説明します。「領土とはこの家、国民とはわたし、政府もわたし。小さいといえども、立派な国家だ」と、妙に説得的なんです。民主国家の理想は、治者と被治者の同一だなんて、政治の教科書に書いてありました。マイ国家では、この理想が完璧に実現されています。国民の財産も、100%国民のために使われています。
それに対して、普通の国家というのは、「政府とは、体裁の良い一種の義賊なんだな。大掛かりに国民から金を巻きあげる。その親分がまずごっそりと取り、残りをかわいそうな連中に分けてやれと子分に命じて渡す」なんだそうです。これまた説得的です。読んでいて笑ってしまいました。これだけにとどまらず、マイ国家の主人は、「建国神話」まで作っているので、芸が細かい。ここまで言われたら、私なんかマイ国家を国家として承認してよいと思ってしまいます。実際のところ、世界最小の国はバチカン市国ですよね。面積は東京ディズニーランドくらい、国民は800名程度だそうです。それでも国家と認められているのですから、もう一歩進めれば「マイ国家」でも問題ないでしょう。
ちなみに、バチカン市国はスイス傭兵による軍備があります。「マイ国家」でも、不法侵入者には刃物をもって対抗していました。「そんなぶっそうな凶器」を出さないでと言われると、「凶器とはなんだ。軍備と言え。自衛権は国家固有のもので、そのために必要な軍備の所持と行使が認められている。」と反論してきます。「国家」の安全保障という意味では、国際的に認められたもっともな主張ですが、私みたいな「平和主義者」としては、国の武力行使には違和感があります。しかし、国内で山口組が暴れた場合には、警察が出てきて、必要に応じて銃も使用し、武力で制圧するのは当然です。
その一方、どんなに酷い相手でも、それが「国家」であれば、たとえ攻めてこられても、日本が武力を使うこと自体許されないというのは、確かに変な気もします。はっきり言って、北朝鮮なんて、山口組よりましなのか怪しい、かなり酷い「国家」ですよね。それでも「国家」である以上、抵抗してはいけないとなりますと、仮に山口組が「マイ国家」として独立宣言したらどうなるのかと考えてしまいます。バチカン市国と同様に、「国民(組員)」「領土(縄張り)」「政府(組長や若頭)」は揃っているので、国家になるのに不足はない。「国家」になった山口組に対しては、取り締まりは「戦争」になるから「憲法違反」だという主張は、確かに納得できないものがあります。さらに考えてみますと、多くの国家が独立するときは大変な紛争が起こっています。アイルランドの独立のなんか、本当に凄かった。IRA(アイルランド共和国軍)がイギリスでテロ行為(独立戦争)をするたびにニュースになっていました。パレスチナの人たちも、イスラエルに対して「独立戦争」を仕掛けています。日本だって、例えば明治政府に国を奪われたアイヌの人たちが、「独立戦争」を仕掛けてきても、全くおかしくないように思えます。ARA(アイヌ共和国軍)なんて組織して、テロ行為をされたら、生きた心地もしません。アイヌへの補助金について批判的な見解を聞くこともあります。現状だけ見れば、批判に全く理由がないとは思いません。
しかし私としては、独立のためのテロなんかしない、平和を愛するアイヌの方たちに感謝して、気持ちよく補助金を支払うべきだと思うのでした。
弁護士より一言
中山道を歩いていたとき、車で旅をしている80過ぎの方と話しました。「お兄さん、歩いてるなんてすごいな! だからそんなにお腹がへっこんでいるんだ」なんて褒めてくれました。「これって嫌味なんだろうか?」と、肥満体の私は悩んでしまいましたが、その人のお腹は見事に出ています。「それで元気に旅をしているなんて凄い!」と、私も感動しちゃいました。 (2024年9月17日 文責:大山 滋郎)