弁護士の土佐日記
第375号 弁護士の土佐日記
「男女平等運動」というのは、「土佐日記」ではないかと、思い至ったのです!(なんのこっちゃ。。。)
「土佐日記」は、古今和歌集で有名な、紀貫之の紀行文です。土佐から京都に戻るときに、女性のふりをして書いた日記で、源氏物語より100年近く前の作品です。土佐で亡くした娘への思いなど、多くの和歌と共に綴られています。「世の中に 思いやあれども 子を恋ふる 思ひにまさる 思ひなきかな」なんて良いですよね。生意気な子供たちにムカッと来るたびに、読み直したい歌です。ううう。。。
この土佐日記、冒頭の部分を中学生のころ暗記しました。「男もすなる日記といふものを、女もしてみんとてするなり」というものです。当時「日記」は、男が書くものだったんですね。紀貫之は男ですが、女になったつもりで、男がする日記を書いてみたという、かなりひねった作品です。この、「男がする何々というものを女がしてみる」というのが、これまでの男女平等運動の基本だと思ったのです。以前は、女性が外に出て働くことすら認められていませんでした。そういう中で、「男もすなる仕事というものを、女もしてみんとてするなり」ということで、女性の社会進出が始まりました。「女は家にいろ!」なんていう反対意見に負けずに、社会進出した女性たちは本当に偉いと思います。しかし進出しても、今度は女性であるというだけで差別されます。女性だけ昇進が遅れたりとか、女性だけ退職年齢が早かったりといった差別があったんです。こういう差別に対して、女性と共に戦ったのが弁護士たちです。私は同業者の批判ばかりしていますが、こういうところは本当にすごかったなと思うのです。女性だけの早期退職は憲法違反だとか、女性も男性と同じように出世を認めるべきだといった、多くの判例ができました。こういう形で、男女平等が進んできたことは素直に評価できるのです。
その一方、この「男女平等」というのは、結局のところ「男のすなる何々」を女性にも認めようという運動に過ぎないのではという疑問も感じます。「男もすなる弁護士というもの」「男もすなる政治家というもの」「男もすなるスポーツというもの」をできるようにした、女性の権利拡大は良いことでしょう。
最近の話題としては、「男もすなる天皇というもの」を女がしてもいいのではと問題になっています。こういう形での「男女平等」が上手くいった例もあります。作家や芸術家なんてそうですね。私は神奈川フィルの会員ですが、第1バイオリンなんて、9割が女性です。その一方、会社の管理職や取締役など、女性はまだまだ少ないです。政府からも、もっと女性を増やせとさんざん言われていても、数は増えません。女性を増やすための優遇措置までとられていて、それ自体逆差別だと批判されています。「男もすなる何々」というのは、男にとって「好き」で「得意」な分野です。多数派の女性にとっては興味ないものなのに、「男女平等」の名のもとに、無理にやらされているのかもしれません。考えてみますと、「男もすなる何々」を「女もしてみん」とするのは「権利獲得」でした。
一方、「女もすなる何々」を、男がした場合は「義務の分担」と認識されていたはずです。「女もすなる育児というもの」や「女もすなる家事というもの」を「男もしてみんとてするなり」という男性は、義務を分担した偉い男と褒められてきました。これでは、これまで女性のしてきた仕事は「やらざるを得ないが、下等な仕事」だと言われているようなものです。そんな考え自体がおかしいとしか思えません。男女平等というのは素晴らしいことだと思います。
しかし「土佐日記方式」ではなく、「男女が好きなことをしていても平等」な社会となれば良いなと思うのです。
弁護士より一言
音楽会や歌舞伎に行くのが趣味なんです。女性客が8割以上占めていまので、芸術を支えているのは、女性なんだなと思います。一方、音楽会で「ブラボー!」と叫ぶのは、100%男性です。隣で寝ていた男性が終演時に大声で「ブラボー!」と叫んだのには驚きました。「男女平等」が進めば、寝ていた女性が「なりこまや!」と叫ぶようになるのでしょうか。。。 (2024年10月16日 文責:大山 滋郎)