弁護士のコリオレイナス
第391号 弁護士のコリオレイナス
「コリオレイナス」はシェイクスピアの悲劇です。私の意見では4大悲劇より面白いと思うんですけど、あまり上演されません。主人公のコリオレイナスは、王制時代のローマで活躍した将軍です。メチャクチャ戦争に強い人ですが、人間的にはかなり問題があります。民衆を軽蔑しているのです。当時のローマの民衆は、戦争に出る義務がなかった。「命を懸けて戦う者だけが一級市民。それ以外の連中は、黙ってろ。」といった思想です。当時のローマで穀物が不足します。民衆たちがパンの配給を求めても、鼻で笑って相手にしない。
高度経済成長期の日本で、当時の池田勇人首相が「米が無いなら貧乏人は麦を食え」といったなどというエピソードを思い出しました。現在の日本ではコメ不足が問題となっていますが、コリオレイナスが首相なら備蓄米放出なんて絶対にしませんね。「コメが無いなら、パンやパスタを食べれば良いだろう!」なんて、マリー・アントワネットみたいなことを言いそうです。劇の話に戻ると、当時のローマには民衆を守る役目の護民官という人たちがいました。コリオレイナスは、護民官たちとも決定的に対立します。民衆をバカにしているのですから、ある意味当たり前の結果です。護民官たちも、民衆を煽ってコリオレイナスに敵対させます。考えてみますと、現代日本で護民官の役割をしているのはマスコミでしょう。権力を抑制して民衆を守っていることも事実ですが、やたらと国民を煽って政権と対立させようとするところもよく似ています。
そんなわけで、民衆と徹底的に対立したコリオレイナスは、ついにローマから追放されます。日本でも、マスコミの反首相キャンペーンを受けて退陣した総理はかなりいました。日本では首相を止めるだけで済みますが、王制ローマでは国から追放までされてしまう。
しかし、追放されたコリオレイナスも大人しくやられてはいない。そのまま敵国に仕えて、ローマに戦争を仕掛けます。コリオレイナスは、日本で言えば源義経と同じで、政治的センスは無いけど戦争だけはとても強いので、ローマはあっという間に滅亡の危機を迎えます。慌てたローマの政治家たちが、「何とか許してくれ」と、コリオレイナスに泣きつきますが、相手にされない。しかし最後に、母親からの話に心を打たれて、コリオレイナスは和睦を決意します。しかし、そんな和睦を不満に思ったローマの敵国によって暗殺されてしまうのです。
「能力はあるが、民衆を軽視した傲慢な男の悲劇」というのが、この劇の要約です。でも考えてみると、これって昭和の時代の男社会の価値観にとても似てそうです。「外で働いて金を稼ぐ男が偉い。家にいる女は、黙って男を支えろ」みたいな思想、昭和の時代にはありましたよね。コリオレイナスが当時の日本に転生していたら、「俺は戦場(会社)で闘ってるから偉い。戦っていない奴は文句を言うな」と家庭でも威張りそうです。そんなことしていると、昭和のコリオレイナスは妻から熟年離婚されて、ローマならぬ家庭から追放されちゃいそうです。わ、私はそんなことないですよ。
さらに考えてみますと、法律家というのは、ある意味コリオレイナスの考えを持っていると気が付いたのです。どういうことかと言いますと、自分たちが正しいと思う価値観を「憲法」や「自然法」という名のもと擁護する一方、自分たちとは異なる民衆の見解はポピュリズムと名付けて攻撃します。これは人権弁護士あるあるです。
もともと現行憲法の規定自体、司法権は独立しており、主権者である「国民」にも干渉されないように作られています。しかしそれだけでは満足できない法律家や弁護士は沢山います。裁判員制度ができたときにも、非常に多くの弁護士が反対しました。言葉を飾らすにいえば「無知な民衆に裁判制度をひっかきまわされたら困る」ということでした。弁護士も、国外追放処分にされないように気を付けた方が良いと思うのでした。
弁護士より一言
妻と街歩き中に、昔ながらの銭湯がありました。私は「こんなのがまだあるなんて」と思っただけでしたが、妻が「面白いから入りたい!」というので付き合いました。お風呂上がりにコーヒー牛乳を飲みながら、「妻といると色々な経験をするな」と思ったのです。公衆浴場が沢山あったローマで、コリオレイナスも奥さんとお風呂に入ることもあったのでしょうか。 (2025年6月16日 文責:大山 滋郎)