ヒポクラテスの弁護士倫理
ヒポクラテスの弁護士倫理
前回、倫理の話を書きましたので、今回は弁護士倫理について考えてみます。専門職の倫理と言いますと、なんといっても「ヒポクラテスの誓い」ですね。2500年ほど前に活躍した、名医の代名詞になっているヒポクラテス大先生が定めた、医者たるものが守るべき規範です。現代でも少し形を変えて受け継がれている、凄い教えです!
まず誓うべき内容は、医術を教えてくれた師を、実の親のように敬まえというものです。そして、師の子孫や弟子たちには、医学の知識を惜しみなく与えないといけません。その一方、それ以外の人達には、医術の知識を教えてはいけないというのです。これなんか、すごい仲間意識です。まさに、医療という領域を、自分たちの「縄張り」として考えているのでしょう。
さらに、どんな治療を行うかについても、定めがあります。まずは、たとえ患者から頼まれても、人を殺したり、堕胎させるような薬を与えてはいけないと定められています。安楽死を希望する患者さんの依頼を聞くことはできないですし、どんな理由があっても中絶の手伝いはできないというわけです。
さらに、医師としての判断で、患者にとって一番良いと思われる治療を行うことも誓いの内容になっています。患者さんがなんと言おうと、そんなことを聞く必要はないのです。あくまでも、専門家としての知識と誇りをもとに、自分が一番良いと考える治療を行う必要があるといいうことです。お客様である患者の意思を尊重する「サービス業」とは、対極の考えでしょう。ヒポクラテス大先生は、治療の相手が男か女か、自由人か奴隷かを問わず、ベストの医術を行うことを誓わせています。医療というのはお金の対価としてなされる経済活動とは別物だという、強い自負心を感じますね。「医師はサービス業じゃない!」と明言する人は、現代でも沢山いるでしょう。
ということで、弁護士の話しです。日本の「弁護士倫理」は、「ヒポクラテスの誓い」にかなり近いように思えるんです。弁護士の仲間内では法的知識を共有することが奨励される一方、弁護士以外のものが法律業務に関係することには、強烈に反発します。司法書士や行政書士の人達を、弁護士の活動領域を侵害したという理由で刑事告発までします。法律業務は弁護士の「縄張り」かよと、突っ込みをいれたくなるのです。
仕事内容でも、顧客へのサービスなど考えずに、自分がベストと考える対応をすることが必要と思われてきました。その一方、報酬が安い国選事件でも、貧しい人に対しても、最高の対応をすべきというのが、「弁護士倫理」だったはずです。
「ヒポクラテスの誓い」自体、現在かなり批判されているようです。仲間意識による閉鎖性や、患者の希望を考慮しないところなど、批判されてもやむを得ないところもありそうです。患者を「お客様」と考えて大切にしろというのが、時代の流れに思えます。
同じことが弁護士の世界にも当てはまります。仲間意識が強くて、他の者を排除するような弁護士業界のあり方には、私自身、以前から疑問を感じていました。
お金を払ってくれる「お客様」を大切にする、「サービス業」としての自覚も、もっと必要だと思います。
その一方、専門家としての知識と誇りを重視する「ヒポクラテスの誓い」は、弁護士の仕事をしていくうえで、本当に大切な「倫理」だと思うのです。
弁護士より一言
私は、様々な分野で活躍している人のところに行って、お話を聞いてくるのが趣味?なんです。成功のヒントを勉強し、事務所の若手弁護士とも共有しています。先日、やり手の経営者のお話を聞きに行きました。若くて、背が高くて、とてもカッコいい人で驚いたのですが、経営スタイル、目の付け所、不屈の根性と、どれをとっても素晴らしい! 本当に感動して、うちの妻にもその人の話をしました。いつになく真剣に聞いていた妻が、最後に一言だけ質問してきたんです。「その人って独身?」あ、あほか! 独身だったらどうするんだよ!!
(2015年11月1日発行 第160号)