高慢弁護士の偏見
第196号 高慢弁護士の偏見
ゴールデンウィークで皆さんお休みなのに、ニュー スレター書くなんて。。。 そこで私も、好きな小説の話で、お茶を濁すことにします。(おいおい。)
「高慢と偏見」は、今から200年も前に書かれた、ジェーン・オースティンの小説ですね。「完全な小説家の、完璧な小説」と言われている、凄い作品です。その一方、書かれている内容は何かといいますと、当時の「婚活」です。何人もの女性やその親たちが、お金持ちの男性と結婚しようとする小説です。
「小説の始まりはこう書くべきだ」なんて昔から名高い冒頭部分は、こんな風に始まります。「独身で金がある、と聞けば、あとは嫁さんを探しているに違いないというのが、世間の公認真理といってよい。」そんなわけで、娘だけが5人もいる家の近所に、お金持ちの若い独身男性が越してくるところから、小説が始まります。親たちも娘たちも、何とかお金持ちと結婚しようと、あの手この手を使っていくわけです。
小説の中で、男性が出てくるごとに、その収入までしっかりと記載されているところが清々しい! 最初に越してきたビングリーさんが、今のお金で年収3000万円、その次に登場するお友達のダーシーさんが年収1億円といった感じです。ただ、年収といっても、 自分で働いて稼ぐようなのはダメです。評価されるのは、領地からの地代収入といった、不労所得なんです。これは、代々長男に引き継がれていきます。次男や三男はどうするかと言いますと、牧師、医者、法律家のいずれかになるのが原則です。この辺は、現代日本のお金持ちの生活とも重なりますね。事業で稼いだお金を、不動産や株式の投資に充てて、十分な不労所得が入ってくるようにする。頭の良い子供は医学部に入れ て、医者にする。こんな風にして富を残しているお金持ちは沢山います。200年前の英国のやり方は、いまだに有効なんですね! ということは、どうでも良いのです。(だったら長々と書くなよ!!)
この小説は、年収1億でハンサムなダーシーさんと、主人公のエリザベスが結婚するまでの話です。ダーシーさんは、当然のことながら、自分に自信があるので、人を見下す、「高慢」なところがあります。その一方、 誠実で情に厚い、良い点もたくさんあります。エリザ ベスの方は、当初はダーシーさんの高慢なところばかり目について、非常に強い「偏見」をもって彼を見るわけです。そんな二人が、それぞれ自分の欠点を自覚し、それらを直していく中で、お互いに惹かれあっていくという、ハッピーエンドの楽しい小説です。
というところで、今回も強引に、弁護士の仕事に結びつけます! 最近はかなり良くなってきているとは いえ、日本の弁護士は、かなり「高慢」なところがあ ると思っています。難しい試験に合格し、「人権保護」 という大切な仕事をしているのだという自負心が、一般の人を見下すような言動になっているように思えるのです。例えば裁判員裁判に関して、「一般大衆に何が分かるんだ!」といった高慢な意見を述べる弁護士が相当数いるのは、残念ながら事実なんですね。そんな弁護士の「高慢」に対応するように、一般の人たちの中には、弁護士に対する「偏見」があることも感じるのです。「お金のために、悪人に味方する悪徳弁護士」みたいに言われることは、よくあります。弁護士と市民が、お互いに尊敬しあえる世の中になって欲しいと、強く願っているのです。
弁護士より一言
20年以上前に妻と結婚したときには、私は会社員でした。当然のことですが、ビングリーさんやダーシーさんのようなお金持ちではありません。先日、妻が大切に保存していた子供たちの手紙や絵をいろいろ見せてくれました。10年近く前の、娘からパパへの手紙には、「いつもおしごとありがとう。パパはママとけっこんできてしあわせだね。いいな。ママみたいなかわいい人いないよ。ままにはないしょ。しぃーまたあそんでね。パパだ~いすき!」 妻と結婚できたことを感謝し、今後、娘に腹が立つときは、この手紙を思い出そうと思ったのでした。
(2017年5月1日発行)