弁護士の罪と罰

第263号 弁護士の罪と罰

「罪と罰」は、ドストエフスキーの名作ですね。苦学生の主人公が、「優れた人間は、悪い奴からお金を取っても良いのだ。」なんて思想のもと、悪名高い高利貸しの老婆を殺害し、金を奪う話です。ところが犯行を見られたことから、罪のない人まで一緒に殺してしまう。罪の意識に苦しむ主人公は、父親に娼婦として売られたソーニャという純粋な娘と知り合う中で、自分の罪を悔い改め、自白して罰を受けるという話です。シベリアでの8年の懲役になった主人公に、ソーニャも付いて行くところで小説は終わります。ソーニャみたいな分かり易い名前はほとんどなくて、登場人物の多くは、ラスコーリニコフ、マルメラードフ、スヴィドリガイロフみたいな、目がちかちかするような名前がいっぱい出て来るだけでも大変なんですが、思想的にもとても深い小説なんだそうです。ただ、ドストエフスキー大先生の深い思想を離れて、法律的にこの小説の「罪と罰」を考えると、「2名に対する強盗殺人という罪」に対して、「懲役8年という罰」が与えられたという話になります。この小説を読んだとき、「帝政ロシアの刑法って、こんなに軽かったの?」と感じたものです。さらにソーニャまで付き添ってくれるとなると、単身赴任の会社員より恵まれてるのでは、とまで考えてしまいました。(なんのこっちゃ。)
というわけで、今回は、現代日本において、どのような「罪」に対してどのような「罰」が与えられているのかを考えてみます。江戸時代の罪と罰は、非常に厳しいものだったそうです。市中引き回しの上、獄門首ということで晒しものにするといった、非人道的な「罰」もあったそうです。そういうのと比較すると、現代日本の罪と罰は穏やかになっています。その一方、痴漢や盗撮事件などを犯した人を、新聞やネットで大々的に取り上げます。これなんか、現代社会での「晒し首」ともいえる非常に重い「罰」だと感じてしまいます。

また、先日こんな記事を見ました。交通違反をしながら、警察からの出頭要請を無視していた人達が逮捕されたというものです。これに対して、一般人の多数派は、「逮捕されて当然だ。」という意見だったんです。でも、この事件の「罪」は交通違反ですから、それに対応した「罰」は、通常は罰金でしょう。今回の逮捕は、交通違反自体とは関係なく、「不出頭」という「罪」に対して「逮捕」という「罰」を与えたと言われてもしょうがない気がします。日本では、逮捕や勾留が「罰」として活用されていることは、法律家には公然の秘密となっているんです。日本の場合、いわゆる犯罪に対する刑罰は、欧米の基準からするとかなり軽いのです。さらに日本では、絶対に有罪となる事件しか起訴しませんから、罪を犯しても罰を受けない人が相当数出てきます。それに対するバランスをとる為かは分かりませんが、正式裁判によって有罪となる前に、逮捕や勾留によって、先払いの「罰」を与えるというのが日本の刑事実務です。私が担当した事件で、1年も前に証拠を全て押さえられた被疑者がいました。1年間ほっておかれた後、「逃亡の恐れあり」という理由で逮捕勾留後、起訴されました。裁判では執行猶予がついて釈放されたんですが、逮捕勾留自体が「罰」になっていたわけです。

この事件の場合、欧米基準なら逮捕勾留されなかったと思いますが、裁判の結果刑務所に行っていた可能性が高そうです。私は、日本の制度が一方的にダメだとは思いません。しかし、少なくとも欧米流の「罪と罰」と違いがあることは、知っておいた方が良いと思うのです。

 

弁護士より一言

芸能人が、薬物の使用で逮捕される事件がよく起こります。薬物を何度も繰り返す人に対して、厳しい「罰」が課されるのも当然でしょう。ただ、私みたいに何度もダイエットして、「今度こそ食べ過ぎないぞ!」と心に誓いながらも、また食べてしまう心の弱い人間には、薬物を繰り返す人の辛さもよく分かるのです。今月もまた断食に行きますが、シベリアに付き添ってくれたソーニャみたいに、先日高校を卒業した娘が付き合ってくれることになりました。

                                                                                                                (2020年2月17日 大山 滋郎)

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