弁護士の第二法律論
第316号 弁護士の第二法律論
芸能人の俳句を、俳人の夏井いつき先生が添削するというテレビ番組ありますよね。
メチャクチャな俳句を、どんなふうに直すのか、夏井先生の毒舌と相まって、なかなか面白いのです。「秋刀魚かな 鰯もいいな はよ帰ろ」なんて句は、次のように添削されます。「秋刀魚か鰯か 我が決断の 秋の暮」 なんか、ハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」の決断みたいで、急に凄くなりました。「レジ横は 春夏秋冬 ホットけない」なんて、受けを狙ったにしても、そもそも意味が分からない句も、果敢に添削してくれます。「秋ことに レジ横商品に 迷う」 まあ、初心者の句は、言葉と言葉、意味と意味が、くっ付きすぎて団子状になってます。添削でどうこうするのも難しいんでしょうけど、私には夏井先生の添削で良くなっているのか分からないんです。弁護士でも、新人の作る書面など、添削することはよくあります。人によっては、テニヲハまで、ことごとく手を入れないと気が済まない人もいるんです。
ただ、添削後の文章が、前より本当に良くなっているのか、かなり微妙なところがあるんです。私なんか、年を取るほどに自信が無くなってきて、人の文章に手を入れるのが怖くなってきてしまいました。論理が重視される法律文章でもそうですから、感性が重要な俳句など、なおさらそういうことはありそうです。そんな俳句ですから、そもそもこれは価値を評価できるような「芸術」ではないと、批判されてきました。第2次大戦直後に出された、フランス文学者の桑原武夫先生の「第二芸術論・現代俳句について」なんて有名です。大家と言われている人たちの俳句と、素人の俳句を並べてみせて、どちらが優れているかなど誰にもわからないと主張します。中村草田男の、「咳くと ポクリッとべートヴエン ひゞく朝」なんて句には、「まず言葉として何のことかわからない」と大変厳しい。(確かに意味はよく分からないんですが、私はこういう感覚好きなんです) 高浜虚子の「防風の こゝ迄砂に 埋もれしと」も、分けわからないそうです。た、確かに。。。
そこで夏井先生に倣って私が添削しちゃいます。 「大津波 ここまで水に 浸かれしと」 なんだか防災ポスターの標語みたいになっちゃいました。何にしても桑原先生によると、こういう大家の句と、素人の作品とで、優劣が付けられないということなんです。俳句は「ひまと器用さの問題だ」「ただ条件がよかったために作句に身を入れたものが大家といわれる」と、夏井先生に負けない毒舌で攻撃しています。
そんなわけで桑原先生は、俳句は芸術ではなく、せいぜいお遊びの「第二芸術」として扱うべきだと提言されていました。ということで、弁護士の話です。実は弁護士が実務で扱うのは、「純粋な法律」というより、問題解決のための「手段としての法律」に過ぎないように思えます。相手方との交渉や、裁判所での和解の進め方など、必ずしも法律に詳しい弁護士が上手いというわけではありません。少々法律知識が怪しくても、ハッタリを利かせることができる人の方が、うまい解決に至るなんてよくあります。
実際、法律などほとんど知らない一般の人でも、こういう交渉に長けている人はいます。まさに、新しい法律についての勉強など全く止めてしまっても、「慣れと器用さ」によって、「弁護士業」をうまくこなせるようになりそうです。桑原先生のような人からは、弁護士は「第二法律家」と呼ぶように言われそうで心配です。桑原先生の俳句批判は、聞くべきところが多いと思う一方、俳句が、これだけ多くの人の気持ちを動かしてきたのも事実です。私も研鑽を重ね、人の気持ちを動かせる弁護士になりたいものです。
弁護士より一言
「咳くと ポクリッとべートヴエン ひゞく朝」みたいに、意味の分からない俳句を作った中村草田男も、初期の句は、「降る雪や 明治は遠く なりにけり」みたいに分かり易い。高浜虚子の、「春風や 闘志いだきて 丘に立つ」なんて句も、口ずさみ易いですよね。年を取るほどに、難解な作品になっていくようです。わ、私のニュースレターも気を付けます。。。 (2022年5月1日 大山滋郎)