弁護士のルッキズム

第410号 弁護士のルッキズム

最近、「ルッキズム(外見至上主義)」という言葉を耳にします。

「外見で人を判断する社会はおかしい」という文脈で使われるようです。わ、私も鏡を見るたびに「イケメンが得をするような世の中は許せない!」という正義感?が湧いてきます。でもこれって、やむを得ないことなのかもしれません。百年以上前に活躍した、世紀末耽美主義作家オスカー・ワイルドに、「幸福な王子」という童話があります。広場の真ん中に飾られた銅像の王子は、宝石や金箔でとても美しく飾られており、町の人達の自慢でした。

しかし王子は、自分の体を飾っていた宝石などを、貧しい人々に分け与えていき、最後には灰色の醜い金属の塊になってしまいます。すると町の人達は、「今の王子は、まるで乞食のようだ。ちっとも美しくない」と切り捨て、ゴミ溜めに投げ捨てたのです。自己犠牲の果てに待っていたのが不法投棄とは、ワイルドの皮肉も極まっています。ワイルドには「スペイン王女の誕生日」という、さらに残酷な短編があります。醜い小人が主人公です。鏡を見たことが無い彼は、自分が醜いことを知りません。自分を愛してくれていると信じていた王女に、実は「見世物」として嘲笑されていたことを知り、鏡に映った己の姿に絶望して憤死する物語です。100年前のルッキズムも、今と同じように残酷でした。日本の憲法では、性別や社会的身分などによる差別を禁止しています。「門地」による差別なんて言うのも明文で禁止されています。「門地」というのは、家柄のことだそうですが、普通の人には分かりませんよね。「現行憲法を一字一句変えるな!」と主張している護憲派の人でも、過半数の人は答えられない気がします。そんな「門地」による差別禁止ではなく、憲法改正して、「外見」による差別禁止を明記した方がよほど良いのではと思ってしまいます。憲法学者たちは「これらはあくまで例示であって、外見による差別も当然含まれる」と解説しています。しかし、外見が明文化されていないという事実は、人類が「見た目の不平等」をいかに直視したがらないかの証左のようにも思えます。

実際問題として、少し前の日本では女性社員の募集に当たり、「容姿端麗な方」なんて書いていました。そういえば選挙においてだれが当選するかについて、外見が良い候補者の方が当選しやすいという仮説のもと、当選結果の予測をしてみると、現実の当選結果と相当程度重なるそうです。このようなことは政治の世界だけではありません。いくつかの研究によると、刑事裁判においても、外見が良い人の方が罪が軽くなる可能性が統計的に高くなるそうです。「ルッキズム」が社会に強い影響を及ぼしているのは間違いないでしょう。しかし外見で人を評価してはいけないなら、一体何をもって評価するのが「正しい」のか考えてしまいます。私はオペラが好きなんですが、オペラは究極の「反ルッキズム」と言えそうです。容姿が役柄とかけ離れていても、圧倒的な歌唱力さえあれば主役になれます。聴衆も拍手喝采してくれます。

でも、オペラによって「平等」が実現したとは思えないんです。単に「外見至上主義」から「歌唱力至上主義」になっただけのように思えちゃいます。ということで、弁護士業界についても考察してみます。まず弁護士になるためには司法試験に受からないといけません。この段階では、「学力至上主義」が適用されて、外見は関係ないでしょう。その後の活動においても、必ずしも「イケメン=人気弁護士」では無いようです。

むしろ整った顔立ちよりも、適度な「苦労の跡」や、「親しみのある顔」の方が、依頼者に安心感を与えることもありそうです。ということで、私も人気弁護士を目指そうと思ったのです!

 

弁護士より一言

開業直後に先輩弁護士から、「弁護士のことはみんな警戒している。そのうえイケメンだと、反感を買うだけ。とぼけた顔の方がかえって良いんだ」と、アドバイスを受けました。この話を妻にしたら、「パパ、良かったね!」と言われたんです。そ、そこはたとえ嘘でも、「それは困ったわね。少しカッコ悪く見せた方が良いかしら。。。」みたいに言って欲しかったのでした。                                                                                               (2026年4月1日  文責:大山 滋郎)

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