弁護士の一事不再理

第411号 弁護士の一事不再理

「一事不再理」は耳慣れない言葉かもしれませんが、法律用語なんです。

裁判が確定したら蒸し返すことはできないという原則です。無罪となった人が後から真犯人だと判明しても、もう一度裁判をして有罪とはできないのです。普通の感覚だと、これは正義に反する気もします。アガサ・クリスティに、この「一事不再理」を利用した推理小説があります。犯人は、裁判を受けるために、ことさら自分に不利な証拠を沢山作り出します。裁判の中で証拠が間違いだと明らかにすることで無罪を勝ちとろうという計画です。ひとたび無罪となれば、その後どんなに有罪の証拠が出てきても、再び裁判にはかけられないという「一事不再理」を用いた完全犯罪を目指したわけです。小説では、名探偵によって犯人のたくらみは見抜かれましたが、犯人の狙い通りになっていたなら、この人を罰することは法的にできません。一方、裁判上の制度とは違って、社会的な論争の場合は、一度決着がついたと思える問題が何度も蒸し返されます。特に日本では、過去の思想・議論が蓄積されず、全く同じ議論が何度でも繰り返されるのだそうです。物事が決まるのは論理的に突き詰めた結果ではなくて、その場の空気や感情によって決まるから、決着のつかなかった議論の方は、何度でも繰り返されるということです。

最近の財務省への風当たりの強さなど、例として挙がっています。「地方の衰退や少子化という国難があるのに積極財政に転じないどころか増税を考えているのはけしからん」という批判が、財務省に対して噴出しています。財務省解体デモなんてものまで行われました。でもこれって、100年前の大蔵省批判とほぼ同じなんだそうです。確かに「娘を売るほど農村が困窮しているのに、緊縮財政を取るとは何事だ」という当時の大蔵省に対する批判と、今の財務省への批判はほぼ同じように思えます。批判に対する100年前の大蔵省と現在の財務省の反論まで全く同じようです。

つまり、「財政の健全化、通貨の安定」のためにはやむを得ないという説明なんですね。ついでに言えば、大蔵大臣暗殺まで引き起こした100年前の5・15事件と、財務省解体デモとも似ているそうです。どちらも熱い思いによる、やむにやまれぬ直接行動なんでしょう。こんな風に、以前の議論が何ら進化することなく蒸し返される例は沢山ありそうです。消費税の問題点なんて、40年近く前の消費税開始時から全く同じ議論が繰り返されています。消費税に多くの問題があるのはその通りですが、「私が今その問題を見つけました!」みたいな議論をしている人を見ると違和感を覚えるのです。こういった、政治的論争を見ると、法律の世界で「蒸し返しの禁止」をルール化したことは意味があることなのだろうと思えてきます。ある時点での「決断」を下し、次へ進む。これがないと、社会は前進することができません。もっとも、法律の世界の「一事不再理」にも例外があります。

例えば「再審」の制度です。有罪とされた人が、再審によって無罪となった事案は、これまでいくつもあります。無実の人の人権を守るために、再審は重要な制度でしょう。ただ、余り安易に再審を認めれば、蒸し返しのためにエネルギーを浪費することになります。そこで、確定判決を覆すためには、かなり厳しい要件が課せられてきました。再審が認められる要件としては、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」が「新たに」見つかった場合に限られるというのが法律でした。刑事裁判では、有罪であることに「合理的疑い」があるならば無罪とされていたこと、すごく厳しい基準です。冤罪の可能性のある人を救うため再審の要件を緩くしようと現在法律改正が検討されています。

その一方、政治や思想については、以前と全く同じ議論を蒸し返させないために一事不再理を採用してほしいと思うのでした。

 

弁護士より一言

減量しても、直ぐにまた元に戻ってしまいます。減らしたところから減量を始めることができれば良いのですが、何度も元の体重からの「減量の蒸し返し」になるのです。「せっかく減らしたんだから、その後調子に乗って食べなければいいのに!」と妻に怒られます。でも前回の減量のときも同じように怒られたんです。一事不再理でお願いしたいと思ったのでした。                                                                                                            (2026年4月16日  文責:大山 滋郎)

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