藪の中の事実認定

第243号  藪の中の事実認定

「藪の中」は、芥川龍之介の有名な小説ですね。藪の中で見つかった死体をめぐる、多くの証人の物語です。それぞれの話が食い違い、結局最後には何が「事実」なのか分からないという、ある意味とても怖い話です。裁判官の仕事で一番難しいのは、法律理論ではなく、事実認定だと言います。これは弁護士も同じなんです。うちの事務所では、無料の法律相談を受け付けています。そうしますと、自分で強引に「事実認定」したうえで、相談してくる人が相当数いるんです。例えばこんな感じです。(似たような相談を参考にしたフィクションです。) 

「町でいきなり言いがかりをつけられて殴られました。私は一切抵抗せずに、一方的に殴られるだけでした。ところがそこに来た警察官に、私も相手に大けがをさせたと言いがかりをつけられて、逮捕されたのです。この警察官の行為は違法ですよね?」 こういう質問に対しては、もしその通りの「事実」が認められたら、警察官の行為は違法ですとしか答えようがないんです。しかし、常識的にはこういった事案で、一方のみが被害者ということはまずなさそうです。自分で勝手に「事実認定」してくる人に対して、多くの弁護士が言うセリフがあります。

「本当に大変でしたね。私はよく理解できました。ただ、裁判官は頭が固いから、証拠がないとそういう事実を認めてくれないんですよ。」 自分の手は汚さずに、「証拠」と「裁判官」を悪者にして、その場を切り抜けるわけです。す、済みません。。。もっとも質問者も、この程度ではくじけない人が沢山います。「証拠ならあります! そのとき相手に殴られた痛みをはっきり覚えています。それが何よりの証拠です。」 思わず、「あんたはドリカムかよ!」と、突っ込みを入れたくなっちゃうんです。(なんのこっちゃ。。。)

 

ただ、証拠というのは、有るか無いかの問題ではないのです。ある「証拠」から、どういう事実を認定できるのかが問題になります。少し前に、政治家と弁護士の不倫の事件がありましたよね。二人がホテルに入る写真などが不倫の「証拠」とされました。それに対して当事者は、ホテルで打ち合わせをしただけだと弁明していました。ホテルの出入り写真の「証拠」だけでは、本当の「事実」は藪の中なんです。そこで出てくるのが一般人の常識です。証拠を「常識」で判断して、何が事実かを決めることになります。男女でホテルに入った場合、性交渉が行われたに違いないというのが、一般常識だと思います。裁判所も、こういう「常識」をもとに「事実」を確定していくわけです。

しかし、何が常識かということ自体、本当に難しいのです。電車の中での痴漢事件の場合など、うちの事務所でも何回も対応しました。電車の中での事案で、目撃者もいないとなると、被害者の証言が一番の証拠になります。被害者はことさら嘘をつかないというのは「常識」ですが、「犯人」とされた人は、そのときたまたま側に居ただけかもしれません。ところが、その人が、特に用事もないのに、朝早くから電車に乗っていたなんて場合、疑いたくもなります。人間、たまたま早く起きて、ふと何処かに行きたくなることもあります。それもある意味「常識」でしょう。

その一方、何の用もないのにわざわざ電車に乗る人は、他に悪い意図があるのではというのも「常識」です。痴漢冤罪事件といった、事実が争われる事件はではこういうことがよくあるんです。さらに、たとえ「世間の常識」でも、事実認定に使うのが問題ということもあります。痴漢事件の被疑者が「あんなババアに触るわけないだろ!」なんて言う場合です。「証拠」「常識」による藪の中の事実認定をめぐり、法律家の悩みは尽きないのです。

弁護士より一言

うちの妻も、若いころは毎日のように電車内で痴漢にあっていたそうです。当時は社会全体として、痴漢が犯罪だという意識も薄く、なかなか声も上げられなかったそうです。「今だったら、示談金でひと財産出来ていた。」と、悔しがっています。(おいおい。。。)
そんな妻ですが、思わず中学生息子の体に触ってしまうみたいで、そのたびに息子から「痴漢行為はやめてよね!」と言われています。な、情けない。                           (2019年4月16日 大山 滋郎)

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