弁護士の鎧
第269号 弁護士の鎧
中国の歴史書に、反乱軍の討伐に行く武将の話があります。この人は、戦場に行くのに鎧をつけてなかったんですね。するとそれを見た人が忠告します。「なぜ全身を鎧で守らないのですか。あなたに万が一のことがあれば、国中の人が絶望します。」というわけです。
そこで、今度は全身を鎧で覆って進軍したところ、また違う人から意見されたんです。「なんだって鎧で全身を隠しているのですか? あなたが顔を見せて、反乱鎮圧に立ち上がったことを皆に見せれば、士気も上がるし安心します。それなのに、全身を隠してしまうなど、民の希望を絶つものです。」みたいなことを言われます。そこでまた、鎧を脱いで進軍したという話です。歴史書には特にコメントが付いていないので、これをどう解釈して良いのか、途方にくれた記憶があります。
ただ、この2つの意見は、どちらももっともな気はしました。合戦のときに、総大将が討たれたら負けですから、安全なところにいた方が良いというのは真理です。その一方、大将が前線に出てくるからこそ、兵隊の士気が上がるのも間違いないところです。
さらに考えますと、以前は正しいとされていた見解が、今になっては間違いとされることもよくあります。昭和の時代なんか経済優先で、今とは比較できないほど「イケイケ」でした。公害や交通事故で、本当に多数の国民が犠牲になってましたよね。会社に「風邪気味なので休みます。」なんて言おうものなら、「ふざけるな! 這ってでも出てこい。」なんて怒られました。今の新型コロナも、昭和の時代に発生していたら、国民の対応も大きく違っていたように思います。「コロナ気味なので、お休みさせてください。」なんて言おうものなら、「そんなの会社に出てきて、誰かに伝染せば治るんだ」位のメチャクチャを言われてたはずです。今は本当に良い時代になったと思います。
しかし、コロナを蔓延させないように対策するのは当然として、それによる経済への打撃をどうするのかは難しい問題です。「鎧」の話と同じように、「まずはコロナを徹底的に抑えこまないといけない。」という人と、「経済の方も考えないといけない。」という人が、それぞれ政治家に意見しています。こういう、どちらも正しい意見について、最終的にどう決めないといけない人は、本当に大変だと思うのです。ということで、法律の話です。法的問題でも、どちらが正しいのか判断が難しいことはよくあります。
例えば、商標侵害の事件で、「大森林」という商標を、「木林森」という商品が侵害しているのかが争われた事件がありました。これって、商品は育毛剤!なんだそうです。外見が似てるといえば似てますが、そもそも読み方など全く違いそうです。これについて、地方裁判所は似ていると判断し、高等裁判所は似ていないと判断。最高裁では再び似ていると認定されたんです。どちらも根拠がある場合の判断は、本当に難しいということです。もっとも弁護士の場合は、自分の立場の主張だけをすればよいのでかなり楽です。最終的に判断せざるを得ない裁判官は、本当に大変だと思います。(と言いつつ、自分が負けると裁判官の悪口言うんですけど。。。)
弁護士の場合も、事件処理をどのように行うかで、悩むことはよくあります。相手方と交渉する場合でも、強気に攻めた方が良いのか、妥協して譲歩した方が結果的に得なのか、どちらも「正しい」だけに、決めるのは非常に難しい。そんな中で、横から「こうすべきだった!」なんて言われると、非常に辛いのです。政治家や裁判官の苦労も、よく理解できるのでした。
弁護士より一言
本日は、長女の20歳の誕生日です。いつまで一緒に暮らせるだろうかと、しんみりしてしまいます。その一方、stay homeということで、家で楽しそうに毎日過ごしているのを見ていたら、このまま10年、20年と居続けられるのではと、不安になったのです。妻にそんな話をしたら、「そうなったら、それもきっと楽しいよ。」なんて、ポジティブなことを言われちゃいました。そうかもしれないけれど、ちゃんと独立して欲しいと、親心の悩みは尽きないのです。
2020年5月16日 大山 滋郎