添削弁護士の反省

添削弁護士の反省 

刑事裁判で被告人が、証拠として出てくる調書などを批判してますよね。「あれは、警察や検事の作文だ!」というわけです。警察官などの作る調書というのは、被疑者や証人が話す内容をそのまま書くことになっているんですが、現実にはかなり「作文」になっているようです。それはともかく「作文」にも、やはりレベルの違いがあるんですね。
 
私は刑事事件を多く手がけている関係で、警察や検察作成の調書を良く読むんですが、これがなかなか面白い。警察の調書のなかに、「うまいなあ」と感心するものが、いくつもあるんですね。
 
娘を殺された母親が、娘の思い出を淡々と述べた調書がありました。「幼いとき、私の手を握ってきた娘の手の感触を忘れられません。小さな、暖かい手でした。」といった感じで終わってるんです。声高に犯人を弾劾されるよりもこたえます!
 
少年事件の調書で、「お腹がすいたので、夕食代わりにコンビニでうまい棒(1本10円の駄菓子ですね)を15本買って食べました。」なんていうのもありました。私もジャンクフードが大好きで、子供が食べている「うまい棒」を一緒に食べたりしますが、15本買って食べようとは思いません。その少年の普段の生活が目に浮かぶと共に、まだまだ子供なんだなあと思わせる内容です。
 
こういう調書を読みますと、「弁護士としても負けていられないな!」と、闘志が湧くのです。警察に調書文学?あれば、当方には「反省文」「謝罪文」ありです。被害者や裁判官の心を動かす文章にしてやろうじゃないかと、燃えてくるのです!
 
少し前までは、私が反省文の例文を書いて、「こんな風にお願いします」と、被告人に渡していました。しかしそうしますと、大多数の人が、ほとんどそっくりそのまま書いてくるのです。これはさすがにまずいなと考えて、まずは自分で書いてもらい、それを当方で添削することにしたのです。
 
もちろん、心を打つような反省文も沢山あります。その一方、「こんなの読んだら、被害者はますます怒るだろうな。」なんて思わせるものもあるのです。
 
まず、「学術論文」みたいなものがあります。「何故私はかくの如き罪を犯したのか?」を考察しているのです。「被害者や裁判官はあなたの分析を聞きたいんじゃないの! あなたの反省を聞きたいの!!」なんて、厳しく指導せざるを得ないのです。
 
その他よくあるのが、「私のしたことは、いかなる理由があろうともしてはいけないことでした。」なんて書いてる反省文です。見ず知らずの人間に痴漢しといて、「いかなる理由」ってなんだよ!と、さすがに私も呆れ返るのです。
 
さらに、「今後は社会の役に立つことをします。」なんていうのもよくあります。別に揚げ足取りはしたくないですけど、まずは犯罪について十分に反省・謝罪して、最低限犯罪をしない人間になるところから始めてくださいと、私でも言いたくなっちゃいます。
 
こういう反省文ですと、当方が添削していくうちに、最初のものとは全然違ってくることがあるんですね。これなんか、「弁護士の作文」と言われても弁解できない気がします。警察や検察の作文ばかりを批判できませんね。心から反省しました!
 
私の添削は、たとえどんな理由があろうとも、してはいけないことでした。今後は社会の役に立つ弁護士になることをお約束いたします!
 

弁護士より一言

会社勤めをしていた10数年前には、部下の文章をドシドシ添削できていました。それだけ自分に自信があったとも言えます。しかし、今から考えると、部下が文章で意図していたところがよく理解できなかっただけのような気もするんです。最近は、他人の文章を直すことがほとんどできなくなりました。読む力が増してくると、かえって添削できなくなると思いたい。でも本当は、自信と決断力が無くなって来ただけのような気もしているのです。ううう。。。
(2014年3月1日 第120号)
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