親鸞のマーケティング

親鸞のマーケティング

宗教って、本当に凄いなと、以前から感心していたのです。新興宗教なんて、世間的には怪しく思われますよね。そんな怪しげな「信仰」を、多くの人に売り込んでいくわけです。なんでこんなのに、信者達はお金出すんだよ!と呆れかえる一方、謙虚に学ばないといけないなとも思ったのです。今から9年前に、顧客が一人もいない中で独立開業したときに、「キリストも親鸞聖人も、始めたときは信者なんか一人もいなかったんだから、自分も頑張らねば!」と思ったものです。親鸞といえば、ただひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えればよいと教えた、大宗教家・大思想家です。私も、「親鸞は日本の思想界で5本の指に入るスゴイ人だ!」と信じています。特権階級御用達の仏教を、文字も読めない人たちに広めた偉人です。

 

そんな親鸞の、一番有名な言葉がこれです。「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」 善人でも極楽に行けるのだから、まして悪人なら極楽往生間違いなしという意味です。有名でもある一方、議論を巻き起こした言葉です。「悪人の方が往生できるなんておかしいだろう。」「それなら、もっともっと悪いことした方が得だよな!」なんて、沢山の人に言われてきたのです。それに対して、多くの学者や宗教家がこの言葉の「真実」の深い意味を解説しています。私もそれら解説をかなり読みましたが、正直言いまして、一つとして納得できるものはありませんでした。私の意見では、これは「宣伝用」 「マーケティング用」の言葉なんです。だから、逆説的で、キャッチーです。「何だこれは?」と、思わず目を引かれます。

 

マーケティングでは、「あなたのお客さんはどういう人で すか?」「そういう人たちに売れる商品は何ですか?」を考えるのが基本だそうです 。親鸞聖人の言葉は、「自分は悪人だから、救われる価値なんかない。」と、真剣に悩んでいる人達にあてたメッセージす。

 

自信たっぷりに、「私は絶対の善人だから、極楽行きは確実です!」なんて思っている人は、親鸞の「お客さん」になるわけないです。自分を悪人だと思ってる人に、「大丈夫!」「あなた達こそ極楽に行けるよ。」という「商品」を販売したのが、親鸞言葉だ信じています。この言葉に、変に深い意味を持たせようというのは、例えば 建築業者の「家は買わないでください。」というキャッチーな宣伝文句に、哲学的意味を持たせるく らい滑稽なことに思えます。

 

「あの言葉は 親鸞のキャッチコピーだ 。」 と誰も言いだせなかったのは 、宗教家をはじめ多くの人の心に広告やマーケティングで何かを売り込むのは、恥ずしいことだいう気持ちがあるからだと思うのです。「親鸞聖人がそんな卑しいことをされるはずがない!」というわけです。でもそれっておかしいでしょう。自分の「思想」や「商品」を、本当良いものだと信じているなら、それを多くの人に使って 貰うために、できる限りのことをするのは、当たり前のことだと思います。弁護士の世界でも、まったく同じようなことがあります。広告宣伝や、マーケティングに力を入れている弁護士を、一段低く見るような風潮です。「自分は良心的な弁護士だから、顧客が来な くとも宣伝などできない!」と、公言している弁護士先生は相当数いるのです。

 

しかし私は、自分が弁護士として提供するサービスを、本当に良いものだと確信しています。自分のサー ビスを多くのお客様に知って貰うために、できる限りのことを したいのです!

 

「親鸞、なおもてマーケティングする。いわんや弁護士をや。」

弁護士より一言

4月から高校生になった長女が、小学5年生の息子の算数を見てくれ ています。ところが、娘の方も分からなくなって、「パパ、教えてあげてよ。」なんて言ってきました。 「しょうがないな。小学生の算数が分からないのかよ。」なんて言いながら、やってみたんですが、ちっともわからない。だ、誰だよ?こんな難しい問題を小学生に出す奴は!「今度、塾の先生に聞いたら、パパにも教えてあげるね。」と息子に言われました。ううう。。。
                                    (2016年5月1日発行 第172号)

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