弁護士のどちらも良い

第395号 弁護士のどちらも良い

弁護士は議論が好きですから、様々な問題について、議論を戦わせます。

例えば、LGBT問題で、心は女性の男性をどう扱うかなんて議論になります。女湯に入っても良いのかとか、女性のスポーツに参加させて良いのかといった問題です。こういう問題は大変難しく、どちらにも言い分があります。そんな中お互いヒートアップしてきます。反対意見の人に対して「あなたを一生許さない」と親の敵みたいに非難する弁護士まで出てきます。よくもこう熱くなれるなと感心しちゃいます。私の意見としては、「どちらも良い」なんです。少なくともそれぞれにもっともな理由があります。どちらか一方が絶対に正しいなんてことはあり得ないんですね。

だからといって、「どちらも良い」なんて正直に言うと、両陣営から怒られそうで心配になります。そういうときには、どちらの見解に対しても次の歌で回答すれば良いそうです。「世の中は 左様でござる ごもっとも 何とござるか しかと存ぜぬ」 私なんか、何を聞かれてもこの歌一つで乗り切ってきました! そもそも政治的な見解を熱心に唱えている人達が、どこまで本気なのか分かりませんね。ついこないだまで「財務省解体」なんて叫びながらデモをしていた人達も、今回の参院選ではそんなこと争点にしようともしない。「中小事業者を苦しめる」という理由でインボイス制度反対を主張していた人たちが、平気で消費税廃止を言う。「消費税を廃止したら、税金を納めていなかった中小業者の収入が減少するけど良いんですか」と問い詰めたいのです。(しないけど) もっとも私みたいに「どちらも良い」人は、話のもっていき方でいくらでも操作されちゃいそうです。

有人ガソリンスタンドで、「レギュラーにしますか、ハイオクにしますか?」なんて聞かれたことがあります。それぞれ性質が違うので、適したガソリンを使わないといけないそうですが、私としてはこんなの本当にどっちでもいいんです。こういうときに、従業員教育ができているスタンドでは、「ハイオクでよろしいですね」と聞いてきます。どちらでも良い私は、もちろん「はい」と答えます。こういう感じの初期設定って、法律の世界でも大切です。

例えば日本で集団訴訟を起こそうとすると、参加する人全員から委任状を取る必要があります。ところが、アメリカの集団訴訟の場合は、共通の被害者は参加するのが前提で、嫌な人が抜けることになります。私みたいな、「どちらも良い」人は、日本では参加しないけど、アメリカの集団訴訟には参加することになりそうです。

そういえば、政治家の選挙の場合は、多数の人に選ばれて当選します。それに対して最高裁判所の裁判官に対する国民審査の制度では、多数派が罷免を求めた場合にのみ失職します。大多数の国民は、最高裁判事のことなんか知りませんし、まさに「どちらも良い」と思っているんでしょう。だから、今の制度では誰も罷免されていないんです。積極的に選定されなければ罷免という制度なら、かなり多くの人が罷免されていたかもしれません。裁判の場ではさすがに、「どちらも良い」というのは無責任です。

ただ、どんなに考えても、どちらの主張する事実が本当なのか、よくわからない事案はあるのです。そういうときの為に法律では、どちらが正しいか分からないときには、どちらを勝たせるのかというルールが決まっています。

これによって事実認定はかなり楽になりますが、それでも判断が困難な場合は多々あります。修習生のときに検討させてもらった事案では、裁判官は最後まで悩んでいました。検討させてもらった修習生たちの見解も二つに分かれたのです。最後に裁判官は、「とりあえずこちらを勝たせたけど、あとは高等裁判所に考えてもらおう」なんて言いながら判決を書いてました。でも高裁には相当数「どちらが正しいか分からないから、とりあえず地裁の判断で良いや」なんて私みたいな裁判官がいそうで心配になります。。。

 

弁護士より一言

妻から「晩御飯、何が食べたい?」なんて聞かれます。「何でも良い」と答えると怒られるので、「トンカツかな」と言うと、「今日は豚肉がないから無理。お魚かハンバーグだったら?」と聞かれます。「どっちでも良い」なんて言わずに、「ハンバーグかな」と答えると、「お魚悪くなっちゃうから今日は魚にするね!」
だ、だったら最初からそう言って欲しかったのでした。。。                                    (2025年8月18日  文責:大山 滋郎)

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