弁護士のドレッサー
第392号 弁護士のドレッサー
「ドレッサー」は、50年近く前の、イギリスの演劇です。日本でも三谷幸喜が演出したりと、相当数上演されています。第二次世界大戦下、ロンドン郊外のシェイクスピア劇団が「リア王」を上演しようとします。
しかし、主役のリア王を演じる老優は、空襲など戦時下の心労などでボケてきて、どこかに行ってしまう。「リア王」の芝居自体、老いてボケが入った王様が、嵐の荒野をさすらう話ですよね。2つの芝居の内容がリンクしているわけです。ドレッサーというのは、楽屋で役者の衣装管理その他の雑用をする人です。この芝居のドレッサーは、老優と友達でもあり、冗談を言ったり励ましたりもしていました。そして、老優の失踪後、多くの劇団員たちが公演開催を諦めかける中、ドレッサーだけは皆を鼓舞して最終的に公演を成功させるという話です。この辺の奮闘がとても面白くて、劇の見せ場になっています。ボケていた老優も、ひとたび舞台に立つと、名演技を見せてくれました。これで終わればとても良い話なんですが、名作演劇ともなるとそうはいきません。もう一波乱あります。リア王の舞台が終わり、拍手喝さいを浴びた老優は、自分を支えてくれた人たちの名前を挙げて感謝の気持ちを表します。しかしそこには、誰よりも老優を思い奮闘したドレッサーの名前は出てこなかったのです。ドレッサーも別に感謝されたくて行動したわけでもないでしょう。誰よりも活躍したのに、特に感謝されることなく、誰にも知られず去っていくなんて、すごくカッコいいのかもしれません。「ドレッサー」の芝居の最後で、主人公が何を思っていたのかなど、議論が分かれそうです。とは言いましても、私を始め一般的な「俗物」なら、自分の頑張りを無視されたら、やはり面白くないですよね。
そういえば、やり手の占い師は、お客様の手相を見ながら、次のように言うそうです。「これまで人一番苦労して活躍してきましたね。それなのに誰にも分ってもらえない。本当に辛かったでしょう」 こういわれるとお客さんは、「本当によく当たる占い師だ!」と喜ぶんだそうです。わ。私なんか、毎日通っちゃいそうです。。。 考えてみると、近年話題になっている「妻からの熟年離婚」なんか、長年夫から認めてもらえなかった「ドレッサー」からの愛想尽くしかもしれません。「恋人とは舞台を共にし、妻とは楽屋を共にする」なんて言葉があるそうです。長年、夫の仕事を楽屋で支えてきた妻に対して、表舞台で感謝の気持ちを表明しない夫は沢山いそうです。わ、私も気を付けます。
政治家の秘書なんかも、こういうことあるそうです。秘書の仕事も、選挙対策、陳情対応、政策立案その他、すごく忙しいそうです。議員を励まして、選挙を勝ち抜かないといけません。それなのに、感謝の気持ちを表明されるどころか、「バカ!」「ハゲ!」などと秘書を罵倒していた女性議員が居ましたよね。こういうのはさすがに酷いですよね。こういった「縁の下の力持ち」は、法律の世界でも評価して欲しいと思います。
でも、ドレッサーのような人が、現代日本の法律で正当に評価されるかというと、かなり難しいのです。「特に法的義務が無いのに勝手にやったんだろう」ということで、十分な評価はされないことが、日本をはじめほとんどの国の法律です。例えば、夫と死別後の妻が、義両親の面倒を見続けるなんてことがあります。義両親が特に遺言を作って、お嫁さんへの感謝の言葉と共に財産を残せばよいのですが、そうしないケースが多い。
こういう場合、お嫁さんが何も受け取ることができないというのが、現状の法律の世界です。ただ、お嫁さんにしても、劇のドレッサーにしても、お金が欲しくて頑張ったわけでもないでしょう。一言で良いので自分の頑張りを認めてくれて、感謝の言葉が欲しかったはずです。裁判制度の中でもお金による解決だけではなく、人の気持ちに寄り添う解決ができればよいと思ったのでした。
弁護士より一言
結婚式で、両親に感謝の言葉を述べるなんて演出がありますよね。あれって、本当に恥ずかしいだろうと若いころから思っていました。実際、自分の結婚式でもしませんでした。でも、今になって思うと、感謝の言葉を送るのは良いことに思えます。そうは言っても「家で楽しそうにくらしている子供達が結婚する日なんてくるのだろうか?」と不安になったのです。。。 (2025年7月1日 文責:大山 滋郎)