弁護士の文理解釈
第333号 弁護士の文理解釈
最近、旧統一教会が信者に全財産を寄付させることが問題になっています。本当にとんでもないことだと思います。
しかし、考えてみますと聖書にも、似た様な話があるのです。新約聖書でイエスは、「金持ちが天の国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」なんて説教をしています。そして、お金持ちに対して、天国に行きたいなら全財産を寄付して自分に従うように言います。これなんか、言葉通りに捉えると、かなり問題がありますが、当然、キリスト教では財産をもって、家族のために使うことを認めています。この言葉を言葉通りには解釈していないのですね。
こういうことは、宗教の問題だけではなく、普通の社会でもよくあります。「言葉通りに受け取ってはいけない」と知ることが、「大人になる」ことだそうです。「今日は無礼講だ」と言われて、本当に好き勝手に振舞ったら大問題です。普段はストレートでヨイショする上司に対して、一ひねりするのが「無礼講」なんです。「今日は無礼講だから好きに言わせて貰います。部長は人が良すぎます!」みたいなノリです。法律の世界でも、言葉通りに取るかどうかは、常に問題になります。言葉通りに解釈するのを「文理解釈」といい、様々な事情を考慮して、言葉の意味とは違っても実情にあうように解釈することを「条理解釈」と言います。
ただ、法律では「言葉」が命ですから、言葉取りに解釈する「文理解釈」が基本となります。言葉の意味をめぐっての争いとして、シェイクスピアの「ベニスの商人」なんて有名です。借金を返せない場合は、「胸の肉1ポンドを渡す」という契約の文言が争われます。言葉通りにとらえれば、胸の肉を提供しなくてはならず、必然的に命は無くなります。「文言はどうであれ、こんなことは許せない」と言えば簡単です。
しかし、本件の裁判官は、別の意味で、言葉通りの「文理解釈」を採用して対抗します。つまり、胸の「肉」とだけ書かれているから、血を取ることは許せない。「1ポンド」と書かれているから、それより多く取ることも、少なく取ることも許せないというわけです。確かにこれも文言通りかもしれませんが、かなり屁理屈な気もします。
うちの事務所で扱った事件でも、「言葉通り」を巡る紛争がありました。相手方が当方に、100万円振り込みで支払うという和解調書ができた事案です。振込手数料は当方持ちと決められていました。そこで相手方がどうしたかと言いますと、1回あたり1000円くらいの少額を、600円の振込手数料で、何回にも分けて振り込んできたのです。相手方に言わせると、「和解に書かれている通りのことを実行している。分割払いはダメだとは書かれていない」ということでした。さすがにこれは屁理屈すぎて、当方も腹が立つだけでなく、呆れ返りました。このときは、「ベニスの商人」みたいに、新たな「文理解釈」を考えることなく、裁判所も実情を考えた「条理解釈」で、相手方の行為は許されないと判断してくれました。裁判で使われる言葉にも、「言葉通り」にとると、一般の人には納得できないものがあります。
刑事事件の判決で、私から見ても、とても反省などしていない被告人に関して裁判官が、「一応の反省も認められる」なんて言うことがあります。被害者側はこれを言葉通り「文理解釈」して、「全く反省していないのに!」と腹を立てることがあります。ただ、「一応の反省」というのは、法律関係者の間では、「ほとんど反省していない」という意味だと「条理解釈」するのが常識となっているのです。。。
いずれにしても法律の世界で、「文理解釈」すべきか「条理解釈」すべきかは、とても難しい問題です。ただ、弁護士の場合は、自分の依頼者にとって、「言葉通り」が有利なら、「明らかにこう書いてある」と「文理解釈」を主張します。その一方、言葉通りに解釈すると不利なら、「実情を見れば言葉通りには解釈できない!」と「条理解釈」することになるのです。
弁護士より一言
「外に出ると、寒くて、寒くて」なんて、妻に愚痴を言っていたら、「ロンパン」をプレゼントしてもらいました。「文理解釈」すると、これは「ロングパンツ」のことなんだそうです。足首近くまである「長い下着」なんです。しかし現実をみて「条理解釈」すれば、これはお爺さん用の「ももひき」ですね。愛用することにしたので、「文理解釈」で考えることにしました。 (2023年1月16日 大山滋郎)