弁護士の簾
第300号 弁護士の簾
中国の皇帝の被る帽子には、顔を隠すように簾(スダレ)が付いています。ものの本によりますと、あれには深い意味があるそうです。皇帝たるもの、あまり細かいことを見るのは良くないという考えです。臣下のちょっとした失敗や欠点は、あえて見えないようにする。政治でも、細かいところは人に委ねて、大きなところだけを見るようにする。こういう態度を象徴するのが、顔の前にある簾だというのです。なるほど、上に立つ人にはこういう配慮も必要かもしれません。
その一方、簾を上げて雪を見たという、有名な話が枕草子にありますよね。枕草子の話のポイントとはずれてしまいますが、一面に広がる真白な雪景色ならば、簾のような障害物を取り除いて、見てみたい気もするのです。もっとも、そうは言いましても、多くの場合雪景色も、はっきり見ると汚れが気になってしまいそうです。簾越しに、ぼんやり見た方が、趣があるかもしれません。ということで、今回は何かを見るときに、簾を上げてみた方が良いのか、簾越しに見た方が良いのかについて、考えてみます。例えば、「政治家は簾を取って見るが、夫は簾越しに見る」みたいなのはどうでしょう? 私なんか、色々と至らないところがあると自覚しているだけに、妻から簾越しに見て貰えると、本当に有り難いところです。簾を持ち上げて、じっくりと見て批判されると思うと、落ち着いて夫婦生活も送れないのです。一方、主権者たる国民として、政治家を見るときには、そういう訳には行かないでしょう。そうは言いましても、政治家に対して、あまりにどうでもよい揚げ足取りみたいな批判をするのは如何なものかと考えてしまうのも事実です。ある程度は、簾越しに見た方が良いように思えます。
お客様が弁護士を見るときにも、細かい点にまで注文を付けたりしないで、できれば簾越しに見て貰えると有難いと思ってしまいます。もっとも、横領事件など起こす弁護士も多数いますから、依頼者としても、簾を持ち上げて弁護士を見ることも、残念ながら必要です。音楽の世界など、絶対音感の持ち主は音を常に、簾をあげた状態で聞いているようなものです。凄いことだと思う一方、私みたいに少々音が外れていても楽しめる、簾越しに音を聞いている人間の方が人生楽しく生きられるような気もしちゃいます。こういうの、味覚の世界でもありそうです。一流の料理人になるには、一番出汁と二番出汁の違いが分からないといけないそうです。しかし一般人はそもそも、微妙な音の相違や、味の違いなんて分からないし、気にしません。そんなところよりも、愛想のよさやサービスを気にする場合が多いのです。ところが、変に違いの分かる人は、そこにとらわれてしまい、かえって顧客のニーズを見落とす場合がありそうです。弁護士が依頼を受けた案件を検討するときに、細かい事実や法律関係まで検討する必要があります。「神は細部に宿る」そうですから、これは当然のことです。その一方、法律のあまりに細かいところまで目が行ってしまう人の場合、そういう細部にとらわれてしまい、「顧客満足」や「紛争解決」という大局観を掴めなくなってしまう気もします。ある程度は「簾越しに」事件を見ることも必要でしょう。依頼者に対して、事件について報告するときには、どこまで知らせるのか迷います。もちろん、事件の本筋について知らせないわけにはいきません。しかしながら、相手が挑発的な主張をしているときに、そのまま依頼者に伝えると、かえって話がこじれてしまいます。こういうときには、簾越しに見えるよう、本筋だけを伝えた方が良さそうです。簾を掛けたり外したり、自由自在にできる弁護士になりたいものです。
弁護士より一言
「パパにお姫様抱っこされた夢を見た。」と妻に言われました。私は今まで一度も、そんなことしたことありません。何だって私がお姫様抱っこをしていたのか聞いたところ、抱っこしてトイレに連れて行ったそうです。そ、それってお姫様抱っこじゃないですから。介護ですから! それでも、簾越しに見れば、お姫様抱っこに見えるかもしれないと思ったのでした。
(2021年9月1日 大山滋郎)