オレステスの裁判
第424号 オレステスの裁判
オレステスは、ギリシャ悲劇の主人公です。
母親が愛人と共謀して父親を暗殺したことに対する復讐として、母親を手にかけた人です。オレステスをめぐって、いくつもの演劇が作られているんですが、劇の中で裁判が行われるんです。検察官に相当する「復讐の女神」は、親殺しは絶対に許されない罪であるとして、死刑を求めます。日本でも戦後まで、親殺しは尊属殺人罪ということで、一般の殺人罪よりも重い刑罰が定められていました。この規定自体は、法の下の平等に反する憲法違反ということになりましたが、現在でも殺したのが親であることを情状の一つとして、重い処罰がなされることに違いはないです。この検察の糾弾に対して、オレステスを弁護したのが、太陽神アポロです。裁判には、ちゃんと弁護人が付くんです。
まず、オレステスは神である自分の命令に従って敵討ちをしたのだから無罪だと主張します。お前が真犯人かよ!と言いたくなりますが、この、上からの命令に従っただけという弁明は、現代でも出てくるんです。暴力団などで、上から脅されてやむを得ず犯罪をしましたなんていう形です。さらに深刻なのは上官の命令で人を殺した兵隊などが、後から裁かれるようなケースです。
ただ、命じられたからやむを得なかったという言い訳は、なかなか認められません。アポロの出したもう一つの弁護理由は、母親というのは「器」を提供したものに過ぎず、真の親と言えるのは父親だけだというものです。この理屈は、男女平等の現在の感覚にも反しますし、科学的な遺伝子の理論からも問題があります。もっとも現在の日本で女系天皇を認めるかが問題になっていますよね。反対派の論拠の根本には、アポロの主張と同ものがありそうです。血統は父親で承継されるから、父親が皇室以外の者なら、事実上皇室が乗っ取られるということです。心情的には、こんな風に感じている人が現代にも相当数いそうです。
ちなみにこの劇の裁判では、陪審員たちの票は賛成・反対が同数になります。そこで最終的に女神アテナが決めることになるんです。女神だから、女性の権利を守るためにも、母殺しを有罪にするかと思うとこれが違う。アテナは父親であるゼウスの頭から生まれた女神ですよね。そこで、自分には父親が居るだけで母親はいないので、父を大事に思い敵討ちをしたオレステスを支持するというのです。「えー、そんな落とし噺みたいな理由で裁判して良いんですか?」という気になりますが、オレステスは無罪放免となります。
もっとも、オレステス裁判は、他の劇作家も取り上げており、そちらでは母親殺しは有罪とされ、オレステスには死刑判決が言い渡されます。ところがその判決を不服としたオレステスは宮殿に立てこもって大暴れします。あんたはトランプ大統領かと、思わず突っ込みを入れたくなります。もっとも現代の裁判でも、判決に不服のある人が、法廷で暴れだしたりすることはたまに起こるんです。法律と制度に従おうとは思わない人たちは、いつの世にも一定数居るんでしょうね。それでも、復讐を題材にした演劇に、裁判を出してくるというのは、いかにも西洋風だなと思います。
例えば日本の忠臣蔵で、赤穂浪士の処罰をめぐる裁判の場面を劇にしようなんて、誰も考えませんでした。そんなのやったって、お客さんが見に来ないはずです。確かに、西洋式の裁判は形式だけの茶番という批判もあります。かつての魔女裁判でも、弁護人は付きましたが、結論先にありきでした。人を殺した動物の処分にも、形式だけだとしても弁護人付の動物裁判が行われました。
まずは形から入るという意味で、弁護人が付いた裁判で決着をつけるということが、日常生活でも当然のことになれば良いなと思うのでした。
弁護士より一言
来客用のお菓子が無くなりました。妻は私が食べたのではないかと確認してきます。私が無実の主張をしているとことにやってきた娘が、「何の証拠もないのに、パパを疑うのは良くないよ」と弁護してくれたのです。やはり裁判に弁護人が付いてくれるのは心強いなと感動していたら、娘が言ったんです。「そのお菓子、私が食べたから」 弁護人だからと言って、信用し過ぎは良くないのだと思い至ったのです。 (2026年11月2日 文責:大山 滋郎)





