弁護士の首輪
第370号 弁護士の首輪
星新一の「首輪」は、「刑罰」についての話です。有罪判決を受けた主人公は3年の間、刑務所で過ごすか、「首輪」を付けて今までの生活を続けるか、選択するように言われます。あとから変更することもできるそうです。「これまでの犯罪者は、みんな最終的に刑務所を選んでいる」と教えられますが、主人公は、首輪をつけて社会で生活する方を選びました。恐らくみんなそうするでしょう。
ところが、この首輪をつけていると、楽しいことは一切できない。女性に話しかけようとしても、その方向を見ることさえできない。娯楽番組や娯楽雑誌も観ることができないし、ご馳走や酒をとろうとすると口が開かなくなる。手が届きそうなところにある快楽を我慢しないといけないのが、刑罰だったわけです。最後に主人公も刑務所に行くことにします。同じように快楽を禁止されていても、目の前にある快楽を我慢するよりは、ずっと楽になったという話です。さすが、星先生の話は面白いのですが、それだけでなく「刑罰」の本質についても考えさせられます。「首輪」の世界の刑罰は、「快楽の制限」です。「刑務所」は、そのための手段に過ぎない。だからこそ、別の手段としての「首輪」を選択することもできたのです。
当然のことですが、現代日本でも、刑務所で拘禁するという刑罰があります。しかし、この刑罰の本質が何か、法律には規定がありません。一般的には、刑務所から出て自由に好きなところに行けないという「移動の制限」が刑罰の本質だと考えられています。ただ、そうだとしたら、日本の刑務所で労働をさせたり、細かい規則で縛ることは本当に必要なのかという疑問が生じてしまいます。実際問題として、海外には快適な刑務所があります。まさに、「移動の自由」だけを制限している刑務所です。ノルウェーのハルデン刑務所なんて有名です。有刺鉄線や塀も部屋の鍵さえない、ホテル並みの快適な住空間が「刑務所」として提供されています。更には受刑者同士のいじめなどが起きないように、隔離した空間も用意されているそうです。こういう刑務所に入った受刑者の方が、再犯率は低くなるというから驚きです。
もっとも、こんな刑務所を日本に作ったら、「犯罪者を甘やかすな」「税金の無駄使いだ」と、凄い攻撃にあいそうです。国民感情としては、刑務所の役割として、移動の自由のみならず、そこでの厳しい生活もワンセットで「刑罰」と考えているのでしょう。刑罰の中で一番重い死刑についても、その本質は何なのか、必ずしもはっきりしません。少し前に、死刑執行を、当日に知らせるのは憲法違反なんて訴訟が、死刑囚から起こされました。これに対する法務省の見解は、「早めに知らせると自殺する恐れがあるのでよくない」だったんですね。でも、死刑の本質が「死」そのものなら、「別に自殺でもいいのでは?」と思えてしまいます。
ところが現在の法律では、死刑囚が心神喪失の状況の時には、死刑をしてはいけないと規定されているんです。こうなってくると、死刑の本質は「死」ではなくて、「国家が与える死への恐怖プラス死」なのではないかと勘繰ってしまいます。
ということで、私としては、今後の刑罰は「首輪」方式にすべきだと提言しちゃいます。刑務所は廃止して、星新一が「首輪」で描いたような生活をするのを刑罰とします。刑務所の運営費がかかりませんので、国家予算にも優しい刑罰となります。さらに、死刑も「首輪」で行うことができるようにします。首輪をつけて、一定の時間が来たら心臓が止まる仕組みなんてどうでしょう。首輪の作用で、自分の死刑のことは忘れるようにします。これなら、純粋な「死」を刑罰とした「死刑」も可能になりそうです。
弁護士より一言
司法修習のとき、刑務所を見学させてもらいました。刑務所にいる受刑者と、隣接する寮にいる看守と、ほぼ似たような生活だと教えてもらいました。受刑者は健康的に暮らせるが、看守の方は暴飲暴食などできちゃうのが違いだそうです。そんなに健康的なら、刑務所に空きがあるときは、1か月単位で国が貸し出すのはどうでしょう? 私は応募しちゃいます!
(2024年8月1日 文責:大山 滋郎)