弁護士の放浪記
第386号 弁護士の放浪記
林芙美子の放浪記といえば、男に捨てられた主人公が女工や女給などの職を転々としながら放浪する話です。それにしても、森光子主演で二千回も公演をしたのは凄い。
私のニュースレターは、四百回に達しないのにもう息切れしています。放浪記で一番好きなのは、なんといっても阿佐田哲也の「麻雀放浪記」です。終戦後のドヤ街を舞台として、主人公「坊や哲」をはじめ、「ドサ健」「出目徳」「女衒の達」「上州虎」みたいな、名前からしてタダモノでない人たちが、賭けマージャンをする、バカバカしいけど、本当に面白い小説です。私は、本当に弱くていつもカモにされてたけど、麻雀は一度始めると、止められなくなるんですね。メチャクチャ勝っている奴が更に勝つと、ついつい「それ以上点棒を稼いでどうするんだ」とか「点棒をどんなに集めても、人間幸せにはならないんだ」みたいな文句を言いたくなりました。あ、アホカ。。。
別に幸せになるために麻雀で勝ち続けているのではなく、勝負である以上勝たないわけにはいかないんでしょう。麻雀では情け容赦ない人でも、勝負が終わると気前よく食事をご馳走してくれたりします。欧米諸国は、大富豪に気前よく寄付して貰うような仕組みができていると聞いたことがあります。日本の場合は、お金持ちに対して、「そんなにお金をためてどうするか」とか、「お金があっても人は幸せになれない」みたいな悪口を言ったり、妬んだりする傾向が強いかもしれない。ただ、こういうことって古今東西よくあることなんでしょう。若き日のジョージ・オーウェル(「動物農場」の錯書ですね)が1800年代の終わりに無一文で放浪生活をします。それを記録した「パリ・ロンドン放浪記」は、とても面白い本ですが、その中にも、慈善を受ける浮浪者達は慈善を施す金持を憎んでいたなんて指摘がありました。
現代日本でも、生活保護を受けている人は必ずしも感謝しないで、金額が少ないと文句を言う人もいるそうです。「パリ・ロンドン放浪記」では、オーウェルがパリの高級レストランで給仕の仕事をする話が面白い。日本でもつい先日、牛丼チェーン店でネズミやゴキブリが料理に入っていたことが大問題になっていました。
しかし、オーウェルの描く高級レストランはそんなもんじゃない。本当に不潔で、走り回っているネズミが鍋に飛び込むのは日常茶飯事です。料理を皿に盛るときには、指で嘗め回して体裁を整えるなんて話が出てます。
こういうのを読むと、他人の作った料理を食べるのが怖くなる一方、現代日本の飲食店は相当レベルが高いと感じちゃいます。そんな全国の飲食店をめぐるテレビ番組が、吉田類の「酒場放浪記」です。「酒場という聖地へ 酒を求め、肴を求めさまよう…」なんて始めのナレーションを暗記したほど、ファンなんです。吉田さんは、様々な酒場に飛び込んでは常連さんに溶け込んで、楽しそうにお酒を飲みます。私もこういう風にしたいんですが、なかなか仲良くなれずに「孤独のグルメ」になってしまうのです。
弁護士でも放浪記があります。原口侑子さんという女性が「ぶらり世界裁判放浪記」という本を書いています。大法律事務所を飛び出して、世界131か国をバックパックで回りながら31の国で裁判を傍聴する話です。アフリカの、マラウイ共和国とかブルンジ共和国なんてところの裁判についても報告してくれます。恥ずかしながら私なんか、そんな国があることすら知りませんでした。ケニアのマサイ族では、法律とは無関係に、人を殺したら牛49頭、過失致死なら29頭で償うんだそうです。「裁判で白黒をつけても後に残るのは恨みだけ」だなんて話、大変面白く勉強になります。見習いたいと思うんですが、あまりに凄すぎて圧倒されます。私の場合は、身の丈に合ったところで、せめて近所を歩いて「中華街放浪記」を作りたいと思ったのでした。
弁護士より一言
私は歩くのが趣味で、五街道を制覇して、次は北海道と九州目指して歩いてます。しかし最近、私が出かけると、家族がとても心配してくれます。有難いと思う一方、「徘徊老人じゃないのに」と不満にも思うのです。「裸の大将放浪記の山下清画伯だって大丈夫だったんだから」と伝えても、あまり安心してくれないのでした。 (2025年4月1日 文責:大山 滋郎)