弁護士のお気に召すまま
第230号 弁護士のお気に召すまま
私はお芝居を観るのが趣味なんです。先日、シェイクスピアの「お気に召すまま」を見ました。お互い一目惚れをした男女ですが、二人とも追放されてしまいます。女は男に変装して逃げますが、逃亡先で恋人の男に会うんです。男装の女性は、恋人に「貴方の恋する女性を演じるから、恋の練習をしてみて下さい」ということで、男の振りをしながら自分自身を演じるという、かなり複雑な劇です。話も面白いですが、劇の中のセリフの一つ一つに思わず笑ってしまいます。「阿呆は自分を賢いと思うが、賢者は自分が阿呆だと知っている。」なんて言葉がありました。大きな声では言えませんが、私は自分のこと、そ、それなりに賢いと思っていたんです。「恋ゆえにやらかしてしまった愚行を、一つでも思い出せないなら、恋をしたとは言えない。」なんて、なかなか良いでしょう。恋愛中は相手に夢中でも、結婚するころには覚めているなんてことは、いつの時代にもあるようです。「男なんて、口説くときは4月でも 結婚するときは12月」だそうです。わ、私はそんなことなかったですよ。。。
シェイクスピアは、男にも厳しいけど、女性にはもっと厳しいような気がします。女性は貞淑なことが大切だなどと言っておきながら、「ブスに貞淑さを与えるのは、上等な肉を汚い皿に盛りつけるようなもの。」だそうです。め、メチャクチャや! このセリフ、シェイクスピア大先生でなければ、大問題になってそうです。男の求婚を断る女性に対する言葉もあります。「親切心でこっそり教えてやるが、売れるときに売っておけ。君はどこでも売れる代物じゃない。」 余計なお世話だと、女性に怒られそうです。「自分の失敗を夫のせいにできない女には、子育てを任せられない。馬鹿な子供に育ててしまうから。」なんてセリフもありました。シェイクスピアによりますと、女性はそもそも、自分の過ちを認めないための知恵を持っているそうです。例えば、隣の家の男と不倫して、隣家のベットにいるところを見つかった奥さんは、平然と「こちらに夫が来ているかと、探しに来ました。」と答えるそうです。ほ、本当ですか。。。 争いを止める魔法の言葉の話もあります。それは、「もしも」という言葉なんだそうです。シェイクスピア大先生によると、7人の裁判官でも止められない喧嘩を鎮めることが出来るそうですが、大先生は相変わらず言葉足らずで、意図するところはいま一つ分かりません。ただ、私が示談交渉する場合も、「絶対に示談はしない。お金の問題ではない!」という人に、「もしも、1千万円出すと言ったら、それを誠意と認めてもらえないでしょうか?」と言って、話を纏めたことがありました。「お気に召すまま」で一番有名なセリフは、これでしょう。「この世は全て舞台 男も女もみな役者に過ぎない。」 人は誰でも「舞台」に出て、様々な役を演じているというんですね。例えば、裁判官の役の場合は、「偉そうにして、ちょいと賢い格言と、月並みな判例を並べておけば勤まる。」そうです。裁判官でそれなら、弁護士なんか、もっと簡単に演じられそうです。日本では、法律改正を知らなくても、依頼者の役に立てなくても、「人権を守ります。」「国家権力と闘います。」という二つの言葉だけで、誰でも弁護士を演じることが出来ちゃうのです。もっとも、私も人のことは言えません。カッコいい弁護士を演じたいと、いつも考えていますが、どうすれば良いのかについて、なかなか自信を持てません。しかし、弁護士が自信なさげだと、お客様は不安になりますよね。私も、本当は不安に押しつぶされそうなときにも、出来る限り自信を持った弁護士を演じているのです。
弁護士より一言
妻によると、私はお芝居を見に行くと必ず寝るそうです。夢と現(うつつ)が交じり合う中で芝居を楽しむのが、一番の贅沢なんです! ところが、先日の芝居では、妻も寝てたんです。妻に指摘したところ、「寝てたパパが、私が寝てる夢を見たんでしょう!」と、自分の非は絶対に認めません。うちの子たちの教育は大丈夫だと安心したのでした。ううう。。。
(平成30年10月1日 大山滋郎)