弁護士の五重塔
第239号 幸福弁護士の赤血球
「五重塔」は、明治の文豪、幸田露伴の小説です。お寺の五重塔の建築をめぐる、二人の大工の話なんです。寺の上人は、人望厚い棟梁の源太に任せようと思っていたところ、大工の十兵衛が自分にやらせてほしいと言ってくる。十兵衛は、大工としての腕はピカ一ですが、偏屈で、人と一緒に仕事ができない人です。上人は迷うんですが、最後は源太が譲る形で、十兵衛が建立を請け負います。十兵衛は建築にあたり多くの人とぶつかるんですが、そのたびに源太がとりなして、無事に五重塔が完成するんですね。最後に上人が、五重塔に「十兵衛これを作り、源太これを成す」と揮毫したという話です。小説は知らなくても、この「誰それこれを作り、誰それこれを成す」という名文句を聞いたことのある人も、沢山いると思います。
私は会社勤めが長かったんですが、会社の中でも技術者なんかには、十兵衛みたいな人いますよね。能力的には優れているんですけど、周りの人とはうまくいかないというタイプです。こういう人は、物の分かった源太みたいな先輩や上司がいると、凄い力を発揮します。こういうのは、弁護士にもいます。職人気質で、凄い能力はあるんですが、周りの人とはうまくやっていけない弁護士です。裁判官や、依頼者まで怒らせちゃうんですね。今まではこういう人も、自分一人の事務所で何とかやってきたんですが、競争が厳しくなってきた今後の弁護士業界では大変だと思います。
上人の名文句に戻りますと、双方に花を持たせたのは素晴らしいんですが、法律的に考えると、変な気がするのも確かなんですね。もともと近代法というのは、黒か白か、どちらか明確にする判断するものなんです。「五重塔を作ったのは、詰まるところ誰なのか明確にしろ!」というのが法律です。もっとも、明治以前の日本では、そんなに白黒はっきりした権利があったわけではないそうです。土地の権利にしても、みんながそれぞれの立場で利用していた。ところが、明治になって西洋法が入ってくると、絶対的な権利である「所有権」は誰にあるのかを、明確にしなければいけなくなったというわけです。こういった、白か黒か、明確にするというシステムが、本当に日本人に合っているのか、私としては疑問も感じているのです。さきほど、会社の技術部門の話をしましたが、そこで生じる特許権などに関して、面白い話があります。特許の申請には、誰が「発明者」か明記しないといけません。しかし、かつて日本の会社では、開発自体には直接かかわらなかった上司などの名前も、共同開発者として載せるなんて、よくありました。まさに、五重塔の建築家として、十兵衛の他に、源太も加えるような感じです。ただ、開発はしなくても、予算をとってきたり、人間関係を調整したりした人が、その特許発明を「なす」と言われても、それほどおかしくない気もします。ところがこういう慣行が、米国で大問題になりました。発明者の情報を偽った場合は、特許自体が無効になるということで、多くの日本企業が戦々恐々としたのです。何年か前に、耳の聞こえない作曲家として有名な、佐村河内守氏の作品が、実は他人に作曲して貰っていたなんて事件がありました。それまでは佐村氏を「現代のベートーベン」なんて持ち上げていたマスコミが、一斉に手のひら返しをしたのを覚えています。確かにウソは良くないですが、ほとんど売れない現代クラシック音楽を、佐村氏のマーケット力で広めたわけです。「作曲家これを作り、佐村これを成す」くらい言ってあげても良いのでは。おいおい。。。
弁護士より一言
20数年前に結婚したとき、私は会社勤めでした。その後、弁護士になり独立して今に至ります。先日母が、「滋郎が弁護士になってやっていけてるのは、あなたのお陰よねぇ。」と妻に言うと、妻が、「とんでもない。お母さんがしっかり育ててくれたからですよ。」なんて楽しそうに二人で盛り上がっていました。私を作り、私を成したと称え合うのは自由ですが、言わせて下さい。わ、私も頑張ったんです。ううう。。。
(2019年2月16日 大山滋郎)