弁護士は何で生きるか(1)

第289号 弁護士は何で生きるか(1)

「人は何で生きるか」は、文豪トルストイの民話です。

トルストイは、「戦争と平和」「復活」みたいな長編文学だけじゃなくて、民話も沢山書いています。キリスト教の思想に基づく教訓的な民話ですね。愚かでも働き者の人が、ずるい知恵者に勝利する「イワンの馬鹿」なんて、子供の頃に読んだ人多いと思います。

 

弁護士の仕事では、イワンみたいに黙々と労働すればよいなんてわけにはいきません。それなりに知恵を使った対応が必要です。それでも、お客様を見ていても、小細工なしで黙々と頑張る人が最後に勝つなんてことはよくあります。そういう事例を見ると、私も気を付けようと思うのです。「人は何で生きるか」は、神様が天使に、一人の女性を天国に連れて来るよう命じるところから、話しが始まります。

しかし、その女性は夫を亡くし、生まれたばかりの子供を育てていたのです。「今自分が死ぬと誰もこの子たちを育てる者がいないので、どうか助けてください」と嘆願され、可哀そうに思った天使は、一人で天国に帰ってしまいます。私のような無信仰者からすると、「天使よくやった!」と思えちゃいますね。「オウム真理教のテロのときにも、実行者がこの天使と同じように考えてくれていたら良かったのに」と考えるのは、私だけではないはずです。

 

しかし、トルストイの描く神様は違います。天使の行いに対して、とても怒ります。改めて女性を天に召すと共に、その天使を天国から追放します。「3つの質問に回答できるまで帰ってくるな!」というのです。この質問というのが、私なんかには非常に難しい。「人の中には何があるか?」「人に許されていないことは何か?」「人は何で生きるか?」というものなんですね。なんか、「禅問答」と同じで、どう答えても「違う!」と言われそうで、心配になってしまう質問です。天使は翼を取られ、美しい姿だけ保った人間の姿で追放されます。冬の寒い中、死ぬ寸前のところに、貧しい靴屋が通りかかります。靴屋は、「厄介ごとは御免だ」と、そのまま行こうとするのですが、ふとこの男を哀れに思い、自分の家に連れ帰ります。靴屋の妻は、食うや食わずの生活の中、夫が見ず知らずの男を連れてきて、初めは怒ります。しかし、最後には男が可哀そうになり、受け入れます。

 

私のような俗人は、「間男に 最初に惚れたは 亭主なり」なんて川柳を思い出して、今後の進展が心配になります。しかし、「アンナ・カレーニナ」の作者であるトルストイ大先生も、民話ではそんな展開にはしないんですね。天使は、貧しい靴屋夫婦が自分を受け入れてくれたことに感謝すると共に、神様から出された質問の最初のもの、「人の中には何があるか?」の回答が分かります。「人の中には愛がある」というのが、答えです。靴屋夫妻の心の中に「愛」があったから、困っていた天使を受け入れてくれたのだということです。

別に間違っているとは思いませんが、そんなこと言うなら、人の中には「嫉妬・妬み・自分だけ良い目を見たいという心」も、同じようにあるのではないかと、私のような不信仰者は思ってしまいます。

 

そもそも、この天使の心にも「愛」があったから、幼子を残して死んでいく女性を哀れに思って、神様に逆らったんじゃないの!と言いたくなるのです。こんなことばかり書いていると、「弁護士はひねくれた見方ばかりしている」と言われそうで、心配になっちゃいます。
何にしましても、「人の中にあるのは愛だ!」と悟った天使は、2問目の質問である「人に許されていないことは何か?」に取り組みます。

 

ちなみに、この質問を大学生の娘にしたところ、「犯罪?」と回答してくれました。あ、あほか! たしかに犯罪は許されていないけど、この回答はもっと「神的」なものでないとおかしいやろ。ということで、次回に続けます。

 

弁護士より一言

妻の姪の子どもたちは幼稚園生で、私もよく遊んで貰って?います。子供たちは、「鬼滅の刃」に夢中なんですね。私も構ってもらいたくて、ついつい言ってしまったのです。「おじさんはね、昔は鬼殺隊に入っていて、煉獄さんとも友達だったんだよ!」 
子供たちは信じてしまったようで、その後会う人たちに、「じろうおじさんは、キサツタイにいたんだよ!」と言っていたそうです。私の嘘に、「愛」はあったのだろうかと、本当に反省しているのです。。。        (2021年3月16日 大山滋郎)

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