弁護士の定年退職
第340号 弁護士の定年退職
イェール大学の日本人経済学者が、「高齢者は集団自決すべきだ」なんて主張して、論争になっていました。歳を取って、能力的に問題がある人が高い地位に居続けることが、日本をダメにする原因だそうです。還暦を迎えた私なんか、こういう意見を聞くとドキッとしてしまいます。「集団自決」という言葉だけに反応して、意見の中身は見ないで、ただただ批判しているような人がいたのは残念です。
しかし考えてみますと、日本では既にこういう「高齢者の集団自決」の制度があるんですね。それが定年退職制度です。一定の歳になると、みんな揃って引退するという、ある意味凄い制度です。これがアメリカになると話が違ってきます。米国には、年齢による差別を禁止する法律まであります。能力の有無に関わらず、単に歳を取ったからというだけで無理やり引退させるなどという定年制度は、アメリカでは違法とされるわけです。実際、能力さえあるとされたら、40代のオバマさんでも、80近いバイデンさんでも、大統領になれます。こんなすごい人の話でなくても、普通の会社員でも、基本的に能力に応じて仕事をし、それに見合う給与を貰うというのがアメリカ式ですね。仕事が出来なければ首になる。自分が出来ることをして、それにふさわしい対価を貰うという方式なら、別に老人になったからといって、特別に「自決」させる必要は無いわけです。
実際日本でも、こういう「完全能力主義」の仕事はあります。プロ野球選手や、棋士なんかそうです。藤井聡太なんて、二十歳で大活躍です。かつての名人の加藤一二三だって、勝てないとなると強制的に退場となりました。これは、歳を取ったから「自決」させられたのではなく、弱くなったから排除されたんです。こういう世界では、別に定年制度なんて作る必要は無いということになります。
一方日本では、普通の会社員の場合、能力が無いからといって、首にすることはできません。弁護士をしていると、経営者の方から「あんなに仕事ができないのに何故首に出来ないのか」と、よく相談を受けます。でも、「仕事が出来ない」という理由での解雇は、99%認められません。さらに、だからといって給与を下げることもできない。その人の能力に見合った部署に異動させたとしても、給与は下げられないということです。これって、かなり問題がある制度だと思いますけど、法律は労働者の味方ですからしょうが無いんです。その代わりと言いますか、日本で認められているのが「集団自決」たる「定年退職」です。一定の年齢にさえなれば、有無を言わさず首を切ります。
ところが、日本において、「能力主義」も「定年制度」も、いずれも適用されていない分野があります。学問や芸術、政財界のトップの世界ですね。こういう分野に「定年制度」を入れようというのが、「集団自決」の主張のポイントのはずです。「能力主義」の導入を主張するのではないところが、日本的で面白いなと感じたのです。
一方、今回の論争の中で高齢者の社会からの強制退場を強く非難していた人たちですが、だからといって定年制度廃止を主張しているわけでもないようです。この辺は、「平和憲法改悪反対」と力説する人たちが、自衛隊廃止を主張していないのと同じで、少し変な気もしちゃいます。と、他人事みたいに書いていますが、実は弁護士も定年制度の無い世界なんです。
それでも、一人でやっている弁護士の場合、歳を取るとだんだん仕事ができなくなりますから、事実上引退することになります。また、大手の法律事務所の場合は、一定のルールがありますから、いつまでも居座るという訳にも行かないでしょう。そういう中で、能力が無くなっても、定年退職無しでいつまでも居座れる弁護士もいます。それは、数人の優秀な若手がいる中規模事務所のボス弁護士なんです。そ、それって私じゃないですか。情けないと言われそうですが、なるべく自決したくないのです。
弁護士より一言
先日妻と、芭蕉布の展示を見に行きました。技術が途絶える寸前に、人間国宝の平良敏子が復活させた沖縄の織物です。平良さんは昨年101歳で亡くなったのですが、死の直前まで芭蕉布の普及に尽力していました。私も見習って、死ぬまで仕事をしていたいなと思ったのです。あまりに感動したので、妻が素敵だという芭蕉布の帯を購入しちゃいました。た、たかっ。。。
(2023年5月1日 大山滋郎)