幸福弁護士の赤血球
第238号 幸福弁護士の赤血球
何年か前に、青森・A男さんという人の、愚痴みたいな人生相談が話題になりました。
「人間・男・50代。ただ、ただ、毎日が面倒くさい。」というタイトルです。「口から出る言葉は、嫌だ、面倒くさい、疲れる。」なんだそうです。同じ50代男性として、思わず共感してしまいます。(おいおい。。。) 生きてるだけでも辛い中、「自分で死ぬのは苦しいだろう。それに、そうする力もなく、ただ、それすら、面倒くさい、」そうです。さ、さすがに私は、そこまでは言いません。
「地球に、自分の体に大隕石でも落ちて、すべてが終わりになればよいと、考えながら眠りに就く毎日。」とのことですが、や、止めてください。迷惑です。
「何を相談しているのかもわからない。死ぬこともできず、ただ、ただ、やり過ごす毎日。」と締めくくっていますが、この人、メチャクチャ文章がうまいです。私のニュースレターの文章は、死ぬ気で考えて、何度も何度も推敲して、このレベルです。この人は、「面倒くさい」ので、ぶっつけ本番で書いて、特に修正もしていないんでしょう。凄い才能です! こういう凄い人の「相談」に対する回答はどんなものかと期待して読んでみると、「精神論」でした。要は、「自分に合った生きがいを開発すればよい」というものです。「そんなこと出来るなら、そもそもこんな相談してこないだろう!」と、思わず突っ込みを入れちゃいました。そこで、余計なお世話ではありますが、同じ50代として、私がアドバイスしてあげましょう。わ、私はインテリですから、人生経験は少ないけど、本の知識はあります。それを使ってのアドバイスです。かつて読んだ「ガリバー旅行記」に、ガリバーが馬の国に行ったときの話がありました。その国では、人間は「ヤフー」と呼ばれて、馬に支配されています。
馬によると、「ヤフー」はたまに、とても無気力で、何もしたくないといった状態になるというんです。そのときの解決方法ですが、殴ってでも無理やり仕事をさせると治るそうです。ガリバーも、これは怠け病・贅沢病だから、もっともな治療方法だと納得していました。た、確かに良い治療法かもしれませんが、私は、同年代のおじさんを殴るのは嫌です。。。
そんなわけで他の本を探すと、フランスの哲学者アランの「幸福論」に、とても良いヒントがありました。この本には、「幸福のマリーと不幸のマリー」という話があるんです。マリーは、何を見ても幸福を感じるときと、不幸しか感じないときを繰り返します。そこで精密検査をしてみると、マリーが幸福を感じるときには、血液中の赤血球の量が多いことが分かったという話です。もっとも、アラン大先生は、ここから「精神論」を展開します。人間の幸不幸が、単に「赤血球」に左右されると知ることで、自分の「不幸」など大したことないと理解できるだろうというわけです。でも、こんな結論、納得できません。私ならマリーに、「赤血球を輸血しよう!」とアドバイスしますね。青森・A男さんも、赤血球を入れれば、毎日愉快に過ごせるかもしれないじゃないですか! ということで、弁護士の話です。
弁護士のところには、「誰かに酷い目にあわされたから、法の力でギャフンと言わせてやりたい。」なんて依頼も来ます。こういうとき、多くの弁護士が「精神論」でアドバイスします。「仕返しのようなことは忘れて、自分が楽しく生きるのが一番ですよ。」みたいな感じですね。私も、基本的には同じようなアドバイスをしちゃいます。
しかし、「赤血球」を入れれば幸福になれるのと同じように、「仕返し」をしてこそ幸福になれるのも人間の真実でしょう。弁護士として、どこまでサポートすべきか、本当に悩ましい問題なのです。
弁護士より一言
若いころと違って、最近は何もやる気がしないのよね。」と、高校3年の長女に言われました。
「50過ぎのおじさんみたいなこと言って、お前何歳だよ! いま受験生だろ。」と憤慨したのです。
親が子供に言ってはいけない二つの言葉というのが、「早くしなさい。」と「勉強しなさい。」だそうです。
で、でも、言わざるを得ないんです。ううう。。。
(2019年2月1日 大山滋郎)