弁護士自慢

第248号 弁護士自慢

人間というのは、自慢したい生き物なんだそうです。常識的には恥ずべきことでも自慢します。昭和を代表する落語家の古今亭志ん生師匠に、「びんぼう自慢」という自伝があります。「貧乏はするものではありません。味わうものですな」だそうです。自分はもとより、落語家たちの貧乏の話が沢山出てきます。何人もの人から借金をしていながら、全く返せない落語家の場合、貸主達が話し合い、一部の人だけ返してもらうのは不公平だから、皆で債権放棄しようということになったそうです。ほ、本当ですか! こんな債権者ばかりでしたら、弁護士の債権回収業務なんて、なくなってしまいそうです。人が自慢したい気持ちは、洋の東西を問わないようです。イギリスの文豪、チャールズ・ディケンズの小説に、凄い人がいました。5人の旦那さんがいた女性と結婚した男性です。彼の自慢は、奥さんの以前の旦那さんが、どれほど凄い人かということなんです。相手が何か自慢すると、「なるほど。しかし、私の妻の2番目の旦那は、その分野ではもっとすごい人でしたぞ。」みたいに話すんですね。「さすがは大文豪。よくもまあ、こんな変な人を考え付くな!」と、感心するしかないのです。。。

 

自慢話は、歴史にもあります。秀吉と家康の話なんて有名です。秀吉が茶道具その他を自慢して、家康に、「もっといいものを持っているんでしょう?」なんて、嫌味な質問をします。これに対して家康が自慢返しをする話です。「田舎者ですから、そのようなものは何もありません。ただ、私のためには命を捨ててくれる家臣が何人もいます。」 ちょっと、出来過ぎた話ではありますけど、私も言ってみたいです。「うちの事務所にはこれといって誇れるものはありませんが、私のためには命を投げ打つ覚悟の若手がいます!」 これじゃ、法律事務所じゃなくて、ヤクザの事務所です。
時代が下ってきますと、自慢話もだんだん手が込んできます。幕末の大侠客、清水の次郎長の場合、家康の話を踏まえての自慢です。ある人が次郎長親分に言いました。「親分のところの若い者は本当に凄い! 皆、親分のためには命を捨てると言ってます。」これに対する次郎長の返しがカッコいい。「若い者が、私のために命を捨てるというのは知りません。ただ、私は若い者のために、いつでも命を捨てる覚悟が出来ています。」 こういうのは、「男の器量自慢」とでも言うんでしょうか。もっとも、人脈作りの達人と言われている人の話を聞いたことが有ります。人と会うときに、「この人は自分にとって何かの役に立つかな?」なんて思っている人は、ろくな人脈が出来ないそうです。「自分がこの人のために、何が出来るか?」と考える人なら、凄い人脈が出来るそうです。私に人脈のできない理由が、明らかになったのです。ううう。。。

弁護士の自慢と言いますと、まずは「反権力自慢」です。国家権力にどれだけ対抗したかを自慢する弁護士は相当数います。でも、戦時中のような、国家があからさまに暴力を振るった時代にも、「反権力」を貫いた弁護士は、本当にわずかだったと、要らぬことを言っておきます。平和な時代の「反権力自慢」は、恥ずかしいことだと思いますね。弁護士にとって次の自慢と言えば、「無罪自慢」でしょう。私も1回だけ無罪判決を取りましたが、やはり自慢したくなります! 日本の刑事裁判の場合、99.9%が有罪とされますから。

 

しかし、そもそも弁護士として、何かを自慢しようという考えが良くないですね。それより、私のことを自慢して貰えるように精進すべきでしょう。「わが社の顧問は、かの有名な大山弁護士だぞ!」と、お客様に自慢してもらえる弁護士になりたいものです。

 

弁護士より一言

自宅の庭にのら猫が遊びに来ては糞をします。そこで猫が嫌がる超音波が出る機械を購入して対抗することにしたのです。ところが、その機械を設置した日に、長女が「変な音がするから、庭に行きたくない。」と言い出したんです。「おまえはネコか!!」 当の猫は相変わらず庭に遊びに来てます。(ううう。。。)

                                        (2019年7月1日 大山 滋郎)

 

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