コンニチハ弁護士さん
第295号 コンニチハ弁護士さん
20世紀で一番悪名高い人と言えば、恐らくナチスのヒットラーだと思います。悪い人ですが、魅力的な人でもありますね。未だに映画などにもなっています。先日見たドイツの映画では、ヒットラーが現代で復活するというものでした。蘇ったヒットラーを、周りの人たちはお笑い芸人のように扱います。面白いからと、テレビ討論会などにも出すんです。ところが、本物のヒットラーの強烈な個性、断固とした政治姿勢などに、多くの人たちが魅了されていくという話でした。実際問題、ヒットラーの「我が闘争」なんて、今でも通用するアドバイスがてんこ盛りですね。「政敵について、ここは評価するなどと間違っても言うな。徹底的に叩け」なんて言う教えは、日本の人権派と言われる弁護士達も実践しているのです!(と、ついつい余計なことを言ってしまいます。)
ヒットラーも悪名高いですが、第2次大戦中の日本も、欧米ではメチャクチャ悪の化身として描かれています。アメリカで暮らしているときに、テレビで戦争中の日本を放送するときには、必ずみんなでそろって「バンザイ」をしている場面が出ていました。「バンザイ」は、軍国主義日本の象徴になっているようです。以前一緒に仕事をしていたドイツ人の弁護士は、どんなときにも日本人と一緒にバンザイをすることはありませんでした。彼女と雑談していたとき、「日本の万歳は、ドイツのハイル ヒットラーみたいに評判が悪いんですね」なんて、軽い気持ちで話しました。すると彼女は、心底憤慨したといった表情で言ったのです。「ハイルというのは、英語のハローと同じで、コンニチハというだけの意味よ。何だって、コンニチハ ヒットラーさんというだけで、軍国主義だと思われないといけないの?」
そんなこと言えば、日本のバンザイだって、「万年も栄えますように」というだけのことじゃないかと、言い返したくなったのですが、英語を考えるのが面倒なので、黙ってしまったのでした。しかし考えてみますと、もともとは普通の言葉のはずが、人々の意識の中では重要な意味を持つなんてことはよくありそうです。日本では中国のことを「シナ」というのは、差別用語みたいになっています。シナは英語のchina と語源が同じですから、差別とはもともと関係ないはずですけど、そんなことを言っても通用しそうにありません。言葉本来の意味よりも、多くの人がその言葉にどういうイメージを持つかの方が、よほど重要なんですね。
弁護士の仕事でも、こういうことはあるのです。内容証明郵便というのがあります。これはもともと、どういう内容を相手に送ったかを証明するための郵便でした。法律上、一定の時期までに、一定の内容の意思表示をしないといけないような場合があります。そういうときに、そのようにしたという証拠を残すために使うのが内容証明郵便です。しかし現状多くの人が、そうは思っていませんね。別に証明する必要もない場合でも、「何か凄いこと」を相手に伝えるために用いるのが、内容証明だと思っている人の方が多数派のようです。まあ、このくらいの誤解は、特に大きな問題も生じないでしょう。しかし、裁判のときに使う「原告」「被告」という言葉は、単に誤解されているだけでなく、現実にも大きな問題を生じさせています。法律家にとっては、裁判で訴えた側を原告、訴えられた側を被告と呼ぶだけです。ところが多くの人が、「被告」と呼ばれると、犯罪者と認定されたみたいに思います。感情的に反発して、それだけで、まとまる話もまとまらなくなります。コンニチハの意味でもハイルヒットラーを使わない方が良いように、裁判でも「被告」は使わない方が良いと思うのでした。
弁護士より一言
以前は仕事で普通に英語を使っていました。先日、家族でいるときに、久しぶりに英語を使う機会があっあので、ここぞと思って話したら、娘が心底感心したという感じで言ってくれました。「パパ、本当に凄い! 中学英語の文法と単語で、よくそんな話せるね。パパのこと、中学英語の神と呼ぶよ!」 あ、アホか。そんな誉め言葉、少しも嬉しくないのでした。。。
(2021年6月15日 大山 滋郎)