弁護士の弟子
第217号 弁護士の弟子
今回は、「魔法使いの弟子」かなと思った方、ハズレです。(なんだそりゃ。。。) 中島敦の「弟子」です。
孔子と、その弟子の子路を書いた小説です。孔子は言うまでもなく「論語」の大先生ですね。苦労人で、人情の機微を知る、本当に偉い人です。例えば論語には、
「お金持ちになっても威張らないのは難しくない。貧しいのに卑屈にならないのは難しい。」なんて言葉があります。私自身の経験から考えても、これって本当に真実だと思うんですね。人はどうしてもお金が無くなると、卑屈になってしまうのです。
そんな孔子先生が、弟子の子路を評して言います。「ぼろぼろの服を着て、お金持ちの隣にいて堂々としていられる男だ!」 私も、こんな風に褒めてもらえたら感動しちゃいます。「弟子」に出てくる子路は、とても男気のある魅力的な人なんです。はじめは、世間的に評判の良い孔子の正体を暴いてやるということで、孔子のもとにやって来ます。ところが、話してみて、孔子が本当にすごい人間だと分かり、すぐに弟子入りします。子路の見る孔子は、高い理想を持ちながら、人情の機微もわかり、さらに子路が自信を持っている武芸でも、子路より優れているスーパーマンなんです。孔子のもとに集まる弟子の多くは、弟子になれば士官等、何かいいことがあるから来ているわけです。ところが子路の場合は、孔子に心底惚れ込んで、損得抜きに一生付いていくんです。孔子の悪口を聞くと、言ってる人を睨みつけます。「子路が弟子になってから、自分の悪口を聞かなくなった。」なんて、孔子が慨嘆するんです。これなんて本当にうらやましい。私は、これまでにも正しいと信じる発言をして、ネット等でさんざん叩かれてきました。子路みたいな弟子がうちの事務所にも居たらと思っちゃいます。(おいおい!) ところが、そんな子路でも、ここだけは孔子について納得できないというところがあります。孔子は達人といいましょうか、全てについてあっさりしているんです。反乱が起きたようなときには、孔子は一言諫めに行きます。当然反乱者は孔子の言う事など聞きません。それに対して孔子は「駄目だと分かっていたが、立場上諫めざるを得なかった。」なんて言うわけです。これに対して子路は、「もっと死ぬ気で止めないのか!」と不満を覚えます。一方孔子は、そんな子路の生き方を、危ういものとみて心配するんです。
小説の最後で、当時子路が仕えていた国で反乱が起きます。他の者は逃げ出す中、最後まで筋を通そうとした子路は殺されてしまいます。反乱が起きたという知らせを受けただけで、「子路は戻らないだろう。」と言って、年老いた孔子が泣く場面が、この小説のクライマックスです。私も、本当に感動したものです。
私の場合も、依頼者であるお客様に対して、どこまで強く意見するかについては、本当に悩みます。たとえば、訴訟になるかどうかのぎりぎりの交渉案件の場合です。「この事案ならこの辺で和解したほうが絶対に良い。」なんてことはよくあるのです。ところがお客様は、なかなか納得してくれません。このままいけば、十中八九悪い方に行きそうという場面です。私は、無駄かと思っても一度は依頼者に意見しますが、容れられない場合はお客様の考えを尊重します。「孔子方式」というわけです。しかし、それで結果的にうまくいかなかったときなど、後から「子路のように、もっと強く反対すべきだったか?」なんて悩みます。
それはそれで、お客様の考えを無視することになりますし、難しい問題と感じているのです。
弁護士より一言
うちの息子はとても臆病です。親と一緒でも、知らない道や繁華街のような道を歩くのを嫌がります。殺人鬼がやって来るくらいに思っていそうですね。先日も、息子と二人で街を歩いていて、細い路地の方に行くと、本気で止めてきました。「パパ、僕がいなかったら、今頃死んでるよ!」なんて言います。パパは、お前が生まれる40年以上前から元気に生きているんだよと、心の中で思ったのでした。
(2018年3月16日発行 大山滋郎)