全く新しい弁護士
第297号 全く新しい弁護士
先日、マイルス・デイヴィスのドキュメンタリーを見ました。マイルスといえば、ジャズの神様みたいな人ですよね。プレイヤーとしても凄いんですが、それだけではない。常に新しいことにチャレンジしたところと、若手を自分の楽団に入れて育てたところが、非常に高く評価されています。ドキュメンタリーの中で、新しいジャズを始めようとしたマイルスが、かつてのメンバーに声をかける話がありました。自分がやろうとしている音楽が、これまでのものとは違い、全く新しいものであることを、熱を込めて説明してから、最後に言います。「楽譜以外は、全く新しいんだ!」 これ、私には、何のことだか分からなかったのです。「楽譜が同じなら、音楽としてもほぼ同じじゃないの?」
更に驚いたのは、私と違って、マイルスから勧誘を受けたメンバーが、申し入れを断った理由です。「自分はこれまでのジャズを捨てて、そんな全く新しいものをやることはできない」というわけです。楽譜が同じでも、全く新しい曲になるという点には、特に疑いが無いみたいでした。
というわけで、法律の話に移ります。マイルスの活躍したアメリカの場合、新しいことに対処するには、法律を変更するのが常識です。憲法さえも、何度でも修正していますよね。これは欧州諸国でも同じです。憲法も手段に過ぎないのだから、使い勝手の良いように変更しようというのが常識になっているように思えます。ところがこの点、日本は全く違うんですね。昔も今も憲法は「不磨の大典」ですから、一字一句たりとも変更できません。第2次世界大戦で日本が負けて、連合軍に占領されたときに、憲法改正の話が出てきました。いうまでもなく、このときの改正で、今の「日本国憲法」が出来ました。しかし、当時の日本の政治家や学者は、憲法改正には消極的でした。これまで通りの「大日本帝国憲法」を使って、全く新しい国にできると、大真面目で主張していた学者は沢山いたのです。普通に考えると、「大日本帝国は、万世一系の天皇これを統治す」という憲法のもと、どうすれば全く新しい民主主義の国の形ができるのかと考えちゃいます。ただ、戦争中の一時を除いて、以前の憲法のもとでも民主的な運用がなされていたことも事実なのです。私自身としては、大日本帝国憲法という「楽譜」でもって、民主主義国家という全く新しい音楽を作ることは、案外できたのではと思っています。考えてみますと現行憲法でも、「条文以外は全く新しい」運用がなされていたりします。憲法9条なんて有名です。憲法では「戦争放棄」「戦力不保持」と定められていますが、条文は変えずに、アジア有数の軍隊である「自衛隊」は設置できてしまいました。自衛隊について反対と言っている政党や学者も、本気で解散をさせる気は無いようです。
結婚制度についてもそうですね。憲法の条文を読むと「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」と書いてあります。この条文は残したまま、「同性婚を認めないのは違憲だ」という、全く新しい制度を作り上げようとしている人たちが沢山います。別に私も、その運動に反対しているわけではないのです。しかし、「全く新しい結婚制度を作る。憲法以外はすべて新しいんだ!」という考えが、当然のように主張されている点が、とても面白いなと思うのです。弁護士制度についても、これは応用できそうです。多くの人たちにとって弁護士は、「敷居が高くて利用し辛い」存在のようです。弁護士会や規則はそのままでも、使い勝手の良い、「全く新しい弁護士」として活動できたらと思っています。
弁護士より一言
アマゾンで、注文していない商品が、知らない住所に配送されていました。不正使用ということで、妻が申告したところ、アマゾンの担当者から言われたそうです。「言いにくいのですが、こういうケースではご主人が他にもお宅があって商品を配送していることがよくあります」 これを聞いて、妻も言葉に詰まったそうです。「もしかしてもう一つ住所あるの?」と聞かれてしまいました。し、失礼な。「全く新しい生活」をするときでも、家族は同じにしておきます!
(2021年7月16日 大山 滋郎)