弁護士の和文和訳
第311号 弁護士の和文和訳
「源氏物語」といえば、日本文学の古典中の古典です。現代語訳で読んだ人はそれなりに居るでしょうけど、物語の中に出てくる1000首もの和歌は、読まずに飛ばしちゃうんです。物語は、光源氏の母親が、帝の寵愛を受けるところから始まります。身分の低い母親は光源氏を生みますが、皆から嫉妬されイジメられ、明日の命も分からない病気になって宮中を去ります。そんな状況で、帝と別れるときに歌を詠みます。原文をいきなり読むと、何を言っているのか分からないでしょうから、まずは俵万智の和訳をお見せします。
限りある 命だけれど どうしても
今は生きたい あなたのために
普通にスーッと読んで、意味は明らかですね。この歌の原文の方は、こんな感じです。
かぎりとて 別るる道の 悲しきに
いかまほしきは 命なりけり
最初に「和訳」を読んでいれば、大体の意味はつかめるはずです。「うまく訳したな!」と感心する一方、本当にこれで「正しく」訳せているのだろうかと、疑問に思わないでもありません。「道」や「悲しき」はどこに訳されているのか、なんて言う人が必ず出てきます。そして、こういう「和文和訳」の問題は、法律の世界でもあるのです。
そもそも日本の法律は、明治時代に作られものを、手直ししながら今日に至っているんです。だから、現代人が読んで、意味が分からないものなんて沢山ありました。刑法なんて、そもそも何が犯罪行為なのか、一般人が読んで分からないといけないはずです。しかし現実には、「え、これなに?」と言いたくなるようなものが相当数あったのです。例えば、刑法で賭博が禁止されているのは、皆さん知っていますよね。しかし、その条文まで知っている人は少数派でしょう。「偶然ノ輸贏ニ関シ財物ヲ以テ博戯又ハ賭事ヲ為シタル者ハ五十万円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス」なんていうのが条文でした。これ、意味が分かるかどうか以前の問題として、ほとんどの人が読めないはずです。「輸贏」は「ゆえい」と読みます。「輸」は負け、「贏」は勝ちの意味で「勝ち負け」のことです。「博戯」とか「賭事」というのも、何となく分かるような気はしても、その2つがどう違うのか等、さっぱりでしょう。この条文は1995年に「和文和訳」されたんですが、それまでの100年余り、手を付けずに放置されていたわけです。それでは、この難しい条文を、どんな風に「和文和訳」したのかと言いますと、「賭博をした者は…」なんです。「え、これで良いの?」と私なんかは驚いちゃうのです。確かに、前のものよりは分かり易いし、何より読めます。でも、「偶然」とか「輸贏」はどこに行ったんですか!
ただ、こういう和訳、言葉の1つ1つにこだわると、かえって上手くできないのも事実です。先ほど挙げた、源氏物語の和歌でも、「道」や「悲しき」はどこに訳されているのか、なんて言われたら、いつまで経っても訳せないでしょう。刑法は、「和文和訳」で少しは分かり易くなりました。誣告(ぶこく)罪が「虚偽告訴の罪」、贓物(ぞうぶつ)罪が「盗品等関与罪」となっただけで、一般人にも分かり易いですよね。こういう風に、そもそも分からない和文を、分かるように翻訳することも大事です。しかし法律の中には、一般人の使う意味とは違う意味で使われている言葉もあるのです。民法に出て来る、「善意」「悪意」なんて有名です。「善意」というのは、「良き意図で」ということではありません。「知らないで」という意味なんですね。国民のための法律が、一般国民の言語と離れた意味で書かれています。それを放置しておいて良いのだろうかと、私など気になってしょうがないのです。「和文和訳」は、依頼者と裁判所とのコミュニケーションでも問題になります。お客様が一般言語で意図するところを、上手く法律用語に「和文和訳」できる弁護士になりたいものです。
弁護士より一言
私は「無呼吸症候群」なんだと、妻に言われました。いびきが酷い。さらに、そのイビキがふっと途絶えて、呼吸をしていないときがあり、ちゃんと生きているか気になって眠れないそうです。ほんまかいな!
するとご丁寧に私が寝ている状態を録音し、聞かせてくれたのです。「無呼吸症候群」を「和文和訳」すると「太りすぎ」だそうです。や、痩せます!
(2022年2月16日 大山滋郎)