弁護士の3は沢山
第325号 弁護士の3は沢山
未開の人たちは、3以上の数は全て同じように、「沢山」としか認識できないそうです。思わず、「本当ですか?」と言いたくなります。いくら「未開人」でも、もう少しは数えられそうと思う一方、「三以上はみんな同じ」というのも、あながち間違いではない気もしたのです。
なぜなら、「数」の話とは別に、「一定レベルを超えると、みんな同じようにしか見えない」ということは、確かにありそうだからです。トルストイ大先生の「アンナ・カレーニナ」の冒頭は、メチャクチャ有名ですね。「幸福な家庭はどれも似た様なものだが、不幸な家庭はそれぞれ違っている」みたいな言葉です。昔これを読んだときは素直に感心しました。「幸福」は同じようなものだが、「不幸」はそれぞれ個性的なのかと、変に納得したのです。しかし、今になって思うに、これは「幸福レベルが3を超えると、全部同じに見えているだけではないのか?」と感じてきたわけです。
たとえば、私の場合ヘボ将棋を指していまして、アマチュア初段くらいの実力はあります。そうしますと、「自分より下手な人たちが、どの位ヘボか?」については、かなり良く分かるのです。それぞれのレベルに応じて、それぞれ個性のある変な手を指してきます。一方、自分より強い人になりますと、そうはいきません。せいぜいアマチュア2段なら、自分より少し強いなということは分かります。
しかし、アマ3段以上になると、本当のところ、どれだけ強いのか、よく分からないのです。私がアマ県代表と将棋を指した場合と、藤井聡太先生と指した場合を比較すると、同じようにボコボコにされるので、違いなど分から無いのです。(まあ、私もプライドがあるので、違いが分かるような振りをしますけど。。。)
つまり、人は自分のレベルより「下」については、違い(個性)も理解できるが、「上」については、2レベル以上の違いは区別もできず、全て同じように思えるということです。考えてみますと、トルストイは大作家ではありますが、家庭人としてはたいしたことありません。奥さんと喧嘩して、家出したときに亡くなっているような人です。かなり甘く見ても、「家庭の幸福アマ初段」程度の人に思えます。そんなトルストイなら、「家庭の幸福3段」以上の人たちは、みんな同じに見えたはずです。「幸福名人」みたいな人なら、それぞれの家庭の幸福の「個性」も見分けられたに違いありません。
実は、「もの」や「サービス」を売る人たちにとっては、こういうことは常識だそうです。
マーケティングの第1歩は、「あなたのお客さんは誰ですか?」を明確にすることだと本に書いてありました。お客様はそれぞれ自分の「レベル3」を超えたものに対しては、違いなど分かりません。そういう顧客に対して、「もっともっと良いものを!」と提供しようとするのは、頑張る方向が間違っているということです。
最近、日本の家電製品が、海外で受け入れられずに、もっと安くて粗悪な中国製などが売れているなどというのを、ネットで読みました。これは残念なことだと思います。でも、その家電を必要としている消費者は、「3以上は沢山」で「違いなど分からない」なわけです。そんな中で、「もっと良いものを提供する!」というのは、単なる自己満足に思えてしまいます。そしてこういうことは、弁護士の業務にもありそうです。
うちの事務所には、他の弁護士についての苦情と言いますか、セカンドオピニオンの依頼が来ます。確かに、「これは本当に酷い」と、呆れるような業務対応の弁護士もいます。その一方、プロの目から見ると、法的対応という意味では、レベルが高いなと感心するものもあるのです。
しかし、お客さんにとっての「3」を超えたレベルの違いは、無いのと同じです。判別できない「法的対応」ではなく、自分が測定可能な「接客対応」の違いをもとに、不満を募らせるのでしょう。接客対応もレベル3にすることも、弁護士の仕事と思って頑張ります。
弁護士より一言
ブランドバッグって高いですよね。先日妻に、「こんなの『ブランド料』が高いだけで、品質の違いなんて無いのでは?」と聞いたところ、「広告宣伝費が凄くかかってはいるけど、デザイン、革の質、裁縫の細かさ、なにより手仕事が多いの。この違いが分からなきゃね!」と言われました。で、でも、そういう違いは分からない方が、幸せかもしれないのです。ううう。。。 (2022年9月16日 大山 滋郎)