弁護士のトロッコ
第336号 弁護士のトロッコ
「トロッコ」といえば、芥川龍之介の小説が有名です。工事現場のトロッコに憧れていた少年が、作業員と一緒にトロッコについていく。随分遠くまで来てしまい、日も暮れかけてきたときに、作業員から、「われはもう帰んな」と言われます。そのきの呆然とした心細さを描いた小説です。と、長々と書きましたが、今回の「トロッコ」は芥川じゃないのです。「トロッコ問題」です。
これは、50年以上前に提起された問題で、いまだに多くの議論を呼んでいるようです。むこうから暴走するトロッコが走ってきます。このままいけば、線路の先にいる5人の人が轢かれてしまう。丁度そのとき、線路が分岐するところで、行先を切り替えることができる人がいます。その人が、線路を切り替えれば、トロッコは別の方向に行くのですが、そちらには1人の人がいます。線路の切り替えという行為により、5人は助かるけれども、1人は犠牲になる。そんな状況で、分岐点にいる人はどうすべきなのかという問題です。ちなみにこれ、法律の世界でも問題になっています。線路の切り替えで、1人の人を犠牲にすることが、罪になるかということです。
今の日本の法律では、沢山の人を助けるために、少数の人を犠牲にした場合は、緊急避難ということで、罰せられないことになっています。法律としてはそうした方が良いのだろうと思います。しかし、現実の分岐点に自分がいたら、どうすべきか本当に難しい問題です。沢山の人を助けるためとはいえ、自分の行為によって他の人を犠牲にするのは中々できないのが普通でしょう。実際、大学生にこの問題を出すと、多数派の意見は、「線路の軌道を変更しない」というものだそうです。そ、その気持ち私もよく分かります。学問の世界では、このトロッコ問題、未だに議論が続いているようです。その一方、現実の社会を考えますと、特に悩むことなく、線路を切り替えているように思えるのです。
例えばつい最近の、コロナワクチンも、「トロッコ問題」です。コロナを放置すれば、大勢の人が亡くなる中、「ワクチンを打つ」という方向に線路を変更したわけです。しかし、ワクチンによって、何人かの人には副反応が出ます。私の場合、眉毛と黒い髪が全部抜けてしまっただけですから、まあ諦めもつきます。しかし中には、コロナでは死なずに済んだだろうに、ワクチンのせいで命を落とした人もいるのです。まさに、コロナによる5人の犠牲を防ぐために、線路を切り替えて、ワクチンによる1人の犠牲をもたらしたのだと思います。国の政策としては、やむを得ないことだと思う一方、ワクチンの犠牲になった人は、納得いかないのではないでしょうか?
そもそも国の政策というのは、少数者を切り捨てても、多数者のためになることをするのは、やむを得ないことかもしれません。刑事司法なんて正にそうです。国が何もしなければ、多くの人が犯罪の犠牲になります。そこで、トロッコの軌道を変えて、犯罪を取り締まります。しかし人間のやることですから、どうしても冤罪事件も生じます。切り替えられたトロッコの軌道上には、冤罪で犠牲になる少数者がいるのです。そんな少数者のために活動するのが弁護士の仕事です。線路の切り替えは、国だけではなく、社会活動家もしています。少し前に、草津温泉の町長が、セクハラということで厳しい社会的制裁を受けました。でも、これは冤罪だったようです。この運動を起こした活動家の人たちを非難するつもりはありません。セクハラで犠牲になる多くの女性のために、覚悟をもってトロッコの軌道を変えたのでしょう。しかし、軌道変更後、トロッコの犠牲になる少数者を守る立場の弁護士まで、一緒になって冤罪者を非難していたのは納得できない。しかし、それならどうするのが良いのかも分からない。私は芥川の少年のように、トロッコに何となくついて行き、「いったいどこに来てしまったんだろう」と、呆然としているのです。。。
弁護士より一言
このニュースレターを書くにあたり、大学生の娘に、芥川の「トロッコ」を知っているかと聞いてみました。すると、読んだことはないけど、「トロッコ問題」は知っているそうです。「芥川を読まないなんて恥ずかしいよ」と娘に言うと「トロッコ問題は、私が学校で勉強して、パパに教えてあげたんじゃん!」と言われました。確かにそんな気もします。は、恥ずかしい。 (2023年3月2日 大山滋郎)