弁護士の西遊記
第258号 弁護士の西遊記
西遊記は、天竺にお経を取りに行く三蔵法師のお供の孫悟空が大活躍する話です。悟空を始め登場人物は、みんな「キャラが立って」います。「孫悟空ってどんな人?」と聞かれれば、「単細胞だけど、凄く強い猿の妖怪だよ。」と答えられます。猪八戒なら、「怠け者で享楽主義の豚の妖怪」です。
ところが、もう一人のお供の沙悟浄については、どうもあまり特色がないんですね。なんとなく、おまけみたいな感じになっているはずです。中島敦に、そんな沙悟浄を主人公にした「わが西遊記」という小説があります。私の大好きな小説なんです。小説に出て来る沙悟浄は、ノイローゼ患者みたいに、全ての事柄について「いったい何故そうなんだ?」と問いかけずにはいられない。そして、「俺はばかだ」とか、「もうだめだ。俺は」なんて一人でぶつぶつ言ってる危ない人です。(わ、私も仕事が上手くいかないときなど、同じようなことぶつぶつ言ってますけど。。。) 沙悟浄は「何故?」の答えを求めて多くの賢者に弟子入りするけれども満足できない。そんな中で三蔵法師に出会い、天竺までお供をすることになります。ところが沙悟浄は、お供としての仕事をしないで、色々な「考察」ばかりしています。悟空については、「確かに天才だ。これは疑いない。」と、憧れに似た気持ちを持ちます。悟空は、知識も教養も沙悟浄の足元にも及ばない。そもそも、文字さえ読めません。
しかし、現実の世界ではスーパーマンなんです。あらゆる動植物が何の役に立つかも、星座から方角や時刻を知ることもできます。「世間に通用する教養を身につけているだけで、現実社会では役に立たない自分とはなんと違うことか。」と、沙悟浄は慨嘆します。これって、私もよく分かるんです。世の中には、本など一冊も読んでなくても、本当に凄い人がいます。会社の経営でも、「これって、フィリップ・コトラー先生がダメって言っていたのでは?」なんて思いながら私が見ているうちに、どんどん成果が上がっていくんです。沙悟浄は考えてばかりいますから、悟空が強敵と闘っているときにも、感動して見ているだけで、助太刀しようとしません。「一幅の完全な名画の上にさらに拙い筆を加えるのを愧じる気持からである。」だそうです。「何じゃそれは。仕事しろよ!」と思っちゃう一方、沙悟浄の気持ちも分かります。弁護士として、契約交渉等に同席することがよくあります。法的にも論理的にもメチャクチャなんだけど、妙に迫力と説得力がある依頼者って居るんです。そういうときに、横から「これは法律的にはこういう風に考えて。。。」なんて口を挟むのは遠慮してしまいます。
そもそも、私の得意な「法律の言葉」「論理の言葉」が、現実の交渉の場で説得力があるのか疑問に思えます。天才悟空が従っている、三蔵法師がどういう人かということについても、沙悟浄は考察します。「内なる貴さが外の弱さに包まれているところに、師父の魅力があるのだ」だそうです。実務処理能力には問題があるが、「日本はこうなるべきだ!」という信念を持った創業者と、それを支えるスーパー・セールスマンなんて、今の日本にもいそうですね。 三蔵法師のもとで、沙悟浄の精神は落ち着いていきます。
それでも最後まで、あらゆることに対する「何故?」という沙悟浄の疑問は晴れません。「分からないことを強いて尋ねようとしなくなることが、結局、分かったということなのか?」なんて、最後までぶつぶつ言ってます。こんなところが、私だけでなく、多くの人が「沙悟浄ファン」になる理由だと思うのでした。
弁護士より一言
学校の課題をやっていた高校生の娘から、「パパの事務所の信念って何?」と聞かれました。思わず、「信念は、『新年おめでとう』くらいかな。」と言ったところ、それを聞いていた妻から「もっとちゃんと答えてよ!」と怒られました。しかし、よく考えてみると、確固たる信念を持っている人の方が少数派ですね。西遊記では三蔵法師だけです。悟空たちは、三蔵法師に惹かれて、行動を共にしてるに過ぎません。そんな深い思索に基づいての「新年おめでとう!」だったことを、妻にも分かって欲しいのです。ううう。。。 (2019年12月2日 大山 滋郎)